新作が放送されなくなってから3年が経つ大みそかの風物詩『笑ってはいけない』シリーズ。番組にもたびたび登場し名物プロデューサーとして人気を博したガースーこと、菅賢治氏の言葉から辿る大ヒットの真相とは――。(全2回の2回目/前編を読む)
『笑ってはいけない』シリーズの初回放送を覚えていますか?
そもそも『笑ってはいけない』シリーズは、松本チームと浜田チームの対決での罰ゲームとして始まった企画だ。2003年に放送された第1回は『絶対に笑ってはいけない温泉宿一泊二日の旅』と題して通常放送枠で4週にわたって放送された。
従って“笑いの刺客”は、ガースー(菅賢治)やヘイポー(斉藤敏豪)といった番組スタッフや、「おばちゃん」、「今夜は山田」など『ガキの使い』の“サブキャラ”が中心。勝者チームのレギュラーメンバーも参加し、中でも遠藤が扮した「シッコク!シッコク!」でおなじみの謎のマスクマン「ダイナマイト四国」(初登場は遠藤の「七変化」)は、いまだ語り草になっている名キャラクターだ。
“ダウンタウンファミリー”である板尾創路が、学校の廊下をバイクで爆走しながら登場したり、ブラックジャックに扮してピノコを連れてただ歩いていたり、毎回無表情で、しかも時折、天然のハプニングで笑いを起こすのも印象深い。
そんな中で生まれた意外な“スター”の筆頭が、中村喜伸プロデューサー。第1回の『温泉宿一泊二日の旅』での宴会場に登場した中村は、矢沢永吉の風貌であらわれる。普通にモノマネをすると思いきや、小さな声でボソボソと歌うだけ。その意表をついた展開に一同大爆笑。特に松本は中村の言動に笑いがこらえきれない。「そこにいるだけで松本の笑いのツボを刺激する男」とまで評され、この回のエンディングにも急遽出演が決まったほどだった。
5人が笑ってしまうのは、“笑いの刺客”によるものだけではない。その合間、休憩時間にも笑いは潜んでいる。
長年一緒に仕事をして、気心をしれた5人。それ故、ただの雑談も笑いを誘発させる。ファンの中には、大掛かりな仕掛けよりもそんな時間が一番好きだという人も少なくないだろう。相手を笑わそうとして自分が笑ってしまうことも少なくなかった。