拘置所での体験と共通するもの
角川 個人的には自分と、動けないし口もきけない入所者のきーちゃんを重ね合わせて見ていました。
石井 宮沢さんには洋子ときーちゃんの一人二役をやって頂きました。2人は表裏一体だというイメージを作り出したかったので。作中で洋子は、自分ときーちゃんは同じ存在なのではないかと感じ、彼女の内側に入り込もうとします。
角川 洋子ときーちゃんは同じ生年月日なんだよね。きーちゃんは施設に入った時には話も聞こえたし、見えたりしたんだけど、徐々に職員たちのぞんざいな扱いによって、衰えていってしまった。でも実際には職員たちの行動が見えている。そこが、僕が拘置所で経験したことと似ているなと思ったんです。
石井 自ら拘置所で体験された人質司法の問題点を、『文藝春秋』に発表した手記で指摘されていましたね。
角川 そう。僕は昨年9月から今年の4月まで226日間、拘置所に入れられていたけれど、廊下の向こうにいる看守の行動を全身全霊でずっと見ていたんです。ある看守に「角川さん、我々のことをよく見ていますねぇ」と感心されたぐらいでした。
石井 看守との間に、そんな出来事もあったんですね。
角川 権利はなく、義務しかない。満足な治療も受けられないし、人権も守られにくい。拘置所は軍隊のような思想が蔓延している場所です。ただ、「だから看守が悪いんだ」と言うのは簡単なんだけど、実際には看守だけが悪いのではありません。彼らだって、民主主義教育を受けて育ってきているわけですから。
問題は社会が“ブタ箱”という表現に代表されるような目線で、拘置所を捉えていることです。その視線があるから、検察や警察は看守たちに、「拘置所はそういう場所なんだ」という思想を押し付ける。結果、看守はそれを入所者に強いてしまう。悪循環です。
知的障害者施設も同じじゃないでしょうか。社会が障害者たちを見たくないものとして、施設に押し付けた。施設長や職員は、入所者に「障害者施設はこんなところだ」と、その視線を強要する。さとくんも、そういった他の職員の行動を見て、傷ついていった。そこで犯行の芽が生まれたわけです。
若い女性たちが反応してくれた
石井 『月』は特に若い女性たちがビビッドに反応してくれているようです。韓国の釜山国際映画祭でも上映しましたが、強い興味を示していたのは女性でした。
角川 日本人の感性を世界でまず受け止めてくれるのは、韓国なんだよね。そこから台湾に行って、中国へと流れていく。
石井 社会から蔑ろにされている障害者の立場をより感覚的に理解できるのは女性なんだと思います。特に韓国の女性は熱心に見てくれたと思います。
角川 舞台挨拶の日も、女性が多かったね。
石井 私も含めてですが、中年男性はやや固定観念に縛られる傾向にあります。「障害者の業界の実態はこうなんだ」「だから映画は実態とは違う」という意見は、大体そこから出てきます。