アイドルグループのメンバーだったのに「できちゃった婚」で芸能界を引退。その後、3度の結婚と離婚を経験。シングルマザーにステップファミリー(血縁関係の無い親子や兄弟姉妹のいる家族)と家族形態が多様化する社会の最前線に立ち続けた。成功や幸福、失敗と挫折――人生の酸いも甘いも知った年齢で、なお国際ロマンス詐欺に遭う。

 新川てるえさん(59)はその豊富な経験ゆえ肩書も多岐にわたる。親子問題の専門家、家庭環境のカウンセラー、NPO法人の代表も務め、時には国際ロマンス詐欺の被害に悩む人々のよき相談相手にもなる。

 彼女に寄せられる厚い信頼の源泉は、なによりもその人生経験の深さに拠る。望むと望まざるとにかかわらず、昔ながらの家族観や、ステレオタイプの女の幸せとはつねに壁1枚隔ててきたのが新川さんの半生だったかもしれない。だからこそいま、彼女の言葉は重い。(全4回の第1回)

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新川てるえさん
現在の新川てるえさんとアイドル時代の写真(右)

人生を変えたアルバイト

――まずはご出身地と幼少期について教えてください。

新川 1964年に東京の葛飾区に生まれましたが、すぐに千葉県柏市に引っ越し、そこで育ちました。元々引っ込み思案な性格だったんですけど、中学校に進むとバレーボール部に入り、友人の影響で活発になっていきましたね。高校では陸上部のマネージャーをやっていました。2年生の頃だったかな、原宿を歩いていると大手芸能事務所にスカウトされたことがあるんです。このときは親の反対で夢は叶いませんでしたが、憧れの世界なので嬉しかったですね。

――いずれは芸能界デビューをお考えだったんですか?

新川 その気がなかったとは言えませんね(笑)。だから高校卒業後は、少しでも華やかな世界に関わりたいと、メイクアップアーティストを目指して専門学校に進学しました。その傍らで始めたアルバイトが人生を変えました。

ブスっ子クラブでアルバイトしていた頃

「ブスっ子くらぶ」というキャバクラというか、キャンパスパブみたいなところで働いたんです。当時はまだ女子大生ブームも続いていましたし、「女子学生」に特別な価値のあった時代です。身近な学生さんや若いお嬢さんがお酒の相手をしてくれるというコンセプトのお店で、早稲田とか慶応の近くで11店舗もあった、最先端の業態でした。