2度の離婚でシングルマザーに
――一気に家族が増えたわけですし、私生活は充実してらしたんじゃないですか?
新川 ところが、結婚相手っていうのが、定職につかずフラフラしていた1歳年下の男だったんですよ。そのくせお金もないのに「オーストラリア旅行に行こう」だなんて、後先考えないで大言壮語するタイプ。お互い若すぎましたね。長女を出産後、4カ月で離婚してやりました。
――若気の至り、と。
新川 またまた恥ずかしながらですね(笑)。すぐに問題に直面しました。母ひとり娘ひとりで、さて、どう生きていこうか。当時は実家が筑波に引っ越していたので、まずはそちらに帰りました。実家から通える距離のゴルフ場の仕事が見つかったので、そこでキャディーになりました。当時はバブルの真っただ中で、日本中のゴルフ場が繁盛していた時代です。私の勤めたゴルフ場はかわいい制服がウリで、雑誌の取材も来るようなところでした。華やかな職場だったので、子供は託児所に預けつつ、結構楽しく働きました。
――長くお勤めになったんですか?
新川 ゴルフ場で働いたのは少しだけです。その後、すぐにプラスチック容器のパッケージを販売する会社に就職しました。家庭の事情をとてもよく分かってくれる社長さんだったので働きやすく、計9年ほどお世話になりました。その間の1992年に、2度目の結婚をしました。「ブスっ子くらぶ」時代のお客さんで、離婚後に年賀状のやりとりから交際に発展しました。付き合って半年で籍を入れて、31歳になる1995年には長男を出産しました。
――でもこの結婚も……。
新川 またもうまくいかなかったんです。彼は音楽関係の仕事をしていて、言ってみればザ・業界人。身なりは派手だし、高級外車を乗り回してぶつけちゃったら修理にポンと100万円払ったり。てっきりお金持ちなのかと思っていたら、その内実は借金まみれの男だったの。デート代も借金してやり繰りしてたことが後々わかり、外見だけ取り繕う男なのかと幻滅しました。返しては借り、返しては借りで借金生活はいつまでも終わらないし、夜中に仕事して朝帰りという生活リズムだったので、私とも生活時間がまったく合わない。2度目の離婚は1997年でした。