2003年6月号から20年にわたって続く、塩野七生さんの名物連載「日本人へ」。最新の第245回を特別に全文公開します。
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「文化勲章を受けられての御感想は?」
これが、その日に行われた記者会見での最初の質問だった。
私一人でなく他の人たちも同じ質問を受けたのだから、このような席では月並であろうと穏当でもある質問、ということになるのだろう。質問する側にも同情した。「文化」の定義なるものからして不明確になる一方の時代に、何を質問すればよいというのか。私も適当に何か答えはしたのだが、何を言ったかは覚えてもいない。
とはいえ、いかに年は重ねてもそれに比例して人柄のほうも円満にはならなかった私のこと。これまでの五十年以上の歳月でしてきた仕事を認められて嬉しい、とか、歴史文学にもこれからは陽が当るようになるだろうから、後進の人たちのためにも喜ばしい、とかのまっとうな言辞は、まちがっても私の口からは出なかったろう。
もしも正直に私の想いを口にしていたとしたら、それは次のようになったと思う。
「これからは堂々と時代遅れをやります。以前もそうだったからたいしたちがいはないけれど、同じにやってもこれからは、堂々と、というところがちがうだけ」
何のことはなく開き直りにすぎないのだが、これから述べるのはその具体例。
話は去年の今頃にさかのぼる。正確に言えば、二〇二三年の元旦。その朝、朝刊を広げた私は愕然となった。
元日の朝刊は各出版社の広告が並ぶのがこれまでの伝統。だから書籍の広告は見慣れていたのだが、その年の元旦の広告は、以前とはちがっていた。広告は広告でも書籍の広告ではなく、その大半はマンガ本が占めていたからである。
中でもショックだったのは、下段のすべてを使った司馬遼太郎原作の『竜馬がゆく』のマンガ版の広告で、その全面いっぱいに、鼻先をちょっとつまんだ横顔で描かれているのが坂本竜馬。
この種の横顔をヨーロッパ人は、アメリカ人好みのプロフィール、と呼んでいる。第二次世界大戦の終了後からは大挙して訪れるようになったアメリカからの観光客目当てに、ナポリ近郊の職人たちが始めた作り方で、伝統的なカメオの様式とアメリカ人好みというのは、別物、という意味でもある。
日本でのこの式の横顔の流行も、司馬遼太郎の原作さえ手にしなくなった若年層目当てでもあるのか。
たしかに彼の人生は、一八三五年に生れ一八六七年に殺されたのだから三十二年と短い。しかも彼にとってのほんとうの人生は、脱藩した年から殺されるまでのわずか五年間にすぎない。
とはいってもその五年間はぎっしりつまったという感じの東西を股にかけての活躍ぶりで、その男が、今の二十代から三十代にかけての若者と同じ感じの顔で生きていけたはずはない。