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作家や芸人仲間からの評価が低いこのストレスもう嫌だって

――その馴染めなかった理由に、漫才のスタイルが関西弁ではなく標準語の掛け合いというのもあったのでしょうか。

出井 そうですね。わりとスカした感じの芸風だったので。「あれなんやねん」みたいなのは裏で言われたりしてました。

楢原 ミルクボーイさんは褒めてくれたんだよな。

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出井 そう、初めて褒めてくれたのはミルクボーイさんだった。

楢原 今までと違うことをしようとしてるなって。ミルクボーイさんが同じスタイルの漫才をやり続けた人だからこそ、違うことをしようとしてる俺らを評価してくれたのかもしれないけど。

©深野未季/文藝春秋

――関西弁で漫才をしなくなったのはいつごろ?

出井 組んですぐですね。そのプランでコンビを組みました。

楢原 これがその、ただ目立とうとしたんですよ(笑)。目立ったら評価してくれるんじゃないかなと思って。それまでいろんなことをやっても全然だめだったので。やってないことがそれくらいしかなかった。

出井 当時は背水の陣というか、すぐに結果出さないと絶対だめだと思ってました。

楢原 今考えたら全然そんなことないんだけどね。24ぐらいの時で、もうこれでだめなら芸人やめなきゃいけないって思ってた。その時の芸人寿命ってそれくらいだったので。

出井 何百組って出るオーディションで、なんとか目立たなきゃお客さんも覚えてくれないし。

楢原 全部変えました。衣装も全部揃えて。ネクタイじゃなくてアスコットタイを巻いて。わりとすぐ結果出たんですけど、相変わらず劇場内での評価は低かった。だったら東京でいいじゃんって。もうこのストレスいらないだろうと思いました。お客さんの評価はいいのに、劇場にいる作家と芸人仲間からの評価が低いこのストレスもう嫌だってなっちゃったんです。まだ若かったから……。

――なるほど……。

吉本の“劇場カースト”に乗れなかった 

楢原 今思えばそこで踏ん張ればね、違う未来もあったのかもしれないですけど。大阪吉本の劇場カーストに乗れなかったっていうのを、勝手にこっちがめちゃめちゃ負い目に感じてた。

©深野未季/文藝春秋

――劇場カースト。

楢原 めっちゃあるんです。これもう文春だから言いますけど、「吉田たち」は挨拶しないですからね!

――双子の男性漫才師、吉田たちさん(笑)。

楢原 後輩なのに。後輩なのに。

出井 文春をなんだと思ってるんだ(笑)。

楢原 文春ってそうでしょう。ぶっちゃける場でしょ。だから吉田たちもほら、決勝いかなかったでしょ、M-1。「ざまあ」と思って。

――(笑)。

楢原 あいつらは、俺ら売れないと思ってなめてた。挨拶どころかこうへい(弟)なんかこっち見もしない。未だに忘れない……営業でもな、見もしないもん、こっち! 俺ら2組でやらなきゃいけないのに。こっちが話しかけても無視しやがる。営業中に! 信じられない、後輩のくせに! 「ざまあ」って書いといてください! 僕は言うんで! こういうことを!

――(笑)。でも怒りのモチベーションはすごく大事だと思います。私もバカにされた同業者のことは絶対忘れない……!!

楢原 大事、大事ですよ!!