M-1準優勝には満足していないと語るヤーレンズ。「漫才をやり続けるためには、チャンピオンにならないといけない」。そう彼らを奮い立たせるものは、M-1への思いともう一つ。

 捨てざるを得なかった、大阪吉本という“故郷”。なぜヤーレンズは関西弁を捨て、大阪を捨て、東京に出てきたのか。「モグライダーもランジャタイも知らなかった」という彼らが上京して初めて出会う、全く別の芸人世界。

ヤーレンズの楢原 真樹 (ナラハラ マサキ:左)と出井 隼之介 (デイ ジュンノスケ:右) ©深野未季/文藝春秋

「食っていける」吉本をやめた理由

――2017年から5年連続M-1準決勝の壁に阻まれ、絶対に行くのではと思われた2022年も決勝に進めず……でもお二人がやめなかったのは、このままやっていたらきっと大丈夫だろうという予感があったからなのでしょうか。

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出井 僕は全然なかった。

楢原 ないです、ないです。もうやめようと思ってましたし。

――本当ですか。

楢原 むしろやめなきゃいけないと思ってました。吉本所属だったら思ってなかったかもしれないです。たとえばM-1の戦績でいえば、僕らより成績が下のやつらでもめちゃめちゃ食ってたりしたので。でも吉本以外の事務所では、おじさんになってくるとライブの需要もなけりゃあ、仕事も減ってくるしっていうのを見てたんですよ。そういう“お笑いゾンビ”になる前にやめなきゃいけないんだろうなっていうのがあるんですよ、吉本以外では。

出井 死にきれてないお笑いゾンビ。

楢原 そう、本当は死んでるんですけど、傍から見たら。でも漫才しかやることがないから、やめ時を見失って彷徨ってしまう。

――ではなぜ「食っていける」可能性の高い吉本をお二人は出ようと思ったのでしょうか。

楢原 いやそうですね……馴染めなかったのがでかいですね、ほんとに。

©深野未季/文藝春秋

出井 吉本は常設の劇場がたくさんあるんですけど、本当に学校みたいな感じなんですよね。僕ら芸歴4、5年経ってから組んだコンビなので、その段階で”転校生”なんですよ。そこで楽しくやってたらたぶん移籍はしてないんでしょうけど。

楢原 移籍するにしても東京吉本だっただろうね。だって東京に出ることを劇場にいた同期の誰にも相談しなかったんですよ(笑)。

――いきなり東京行っちゃったんですね。

楢原 劇場の外にいた兄さんとか、それこそハインリッヒさんには言いました。ハインリッヒさんはめっちゃ寂しがってくれました。

出井 その時は「まあまあそうなんや」「寂しいけど行っておいで」みたいな感じだったんですけど。後から聞いたら「ほんまに嫌やったわ」って。「ほんまにちょっとショックやったわ」って(笑)。