「乳房の女性化」を新宿二丁目で相談
もう一つ、体に大きな変化が起きた。「乳房の女性化」、つまりオッパイが大きくなってきたのだ。
これはホルモン治療の副作用として有名だ。
僕は治療開始から長くその症状に気付くことはなかったのだが、2年を過ぎた今年の夏頃から乳首が大きくなってきたことで判明したのだ。
Tシャツやポロシャツを着ると、妙に乳首がくっきりと浮き上がるようになった。
今年の夏はシャツ1枚で出かけるときは、乳首にバンドエイドを貼って見た目をごまかしたりした。
外出前、乳首にバンドエイドを貼りながら、
「いったい俺は何をしているんだろう……」
と考えると、つくづく情けなくなってきたものだ。
もし今日外を歩いていて心筋梗塞にでもなって倒れたら、AED(自動体外式除細動器)が使われるわけだが、その時に救急隊の人が、
「おや? この人は乳首にバンドエイドを貼ってるぞ。しかも両方の乳首に……」
と不思議に思ってAEDの使用を数秒躊躇したら、その遅れが元で落命するかもしれない。
実際にそんなことで放電を躊躇する救急隊員はいないのだが、それでも、もし心筋梗塞になったらどんなにつらくても救急隊の到着前に乳首のバンドエイドだけは自分で剥がさねば――と思ったりした。
乳房も少し膨らんできた。いまはまだ「上半身を鍛えて胸板が厚くなった人」に見えなくもない程度だが、硬さが無くてぽよんぽよんしている。
それを見て気付いたのだ。
「乳房の女性化」には「乳首の女性化」も含まれるのだ、と。
先日、新宿御苑前の店に再就職を果たしたヒゲを生やしたママにその悩みを話した。
「オッパイが大きくなってきたんだよ。うちはおふくろが巨乳を通り越して爆乳だから、俺もああなっちゃうのかな……」
するとひげを生やしたママは「アハハ。やだ~」などとひとしきり笑った後で、こう言った。
「そんなに大きくならないわよ。いい感じのところで止まるわよ」
「なんで?」
「そういうもんなのよ。おかまはみんな知ってるわ」
ひげを生やしたママの口からは科学的根拠こそ示されなかったものの、そこはかとなく安心感が漂う証言を得ることができた。
このおかまとはもう30年の付き合いになるが、初めて「この人を信じてみよう」と思った。
30年で初めて信用されるとは、ずいぶんな人だな……とも思った。
前立腺がんで失ったアレコレ
他にも、前立腺をロボット手術で摘出したため、僕のお腹には6つの穴の痕がある。
真っ白いお腹に6つの干しブドウを点在させたようなその様は、決して美しいものではない。
また、前立腺摘出手術の合併症として起きた左足のリンパ浮腫は手術によって多少細くはなったものの、「気を付け!」の姿勢をするとやはり左右の太ももの太さに差があるのが見て取れる。
しかもリンパ浮腫の影響で左下腹部にできた「膨らみ」については手術をしなかったので、いまも膨らんだままだ。この膨らみは見ようによっては鼠径ヘルニア、つまり「脱腸」に見えないこともないので、当人としてはやはり恥ずかしい。
このように、一連の前立腺がんの治療によって失うものは意外に多い。
がんになってしまったら命を守るためにこうした治療は避けられないが、がんにならないようにするための、早期発見のためのチャンスが多いのも前立腺がんの特長でもある。
腫瘍マーカーであるPSAの値を無視せず、画像診断を受け、必要ならば組織検査も嫌がらずに受ける。
これを早め早めに実践することで、大切な命を守れるだけでなく、僕のようにみじめな思いをせずに済む。
ぜひ真剣に前立腺がんと向き合ってほしい。
さて、これを書き終わると抗がん剤治療だ。
病院に行くのは嫌だが、こうなったら行くしかない。
マグマライザー、発進!
◆
長田昭二氏の本記事全文は、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。
■連載「僕の前立腺がんレポート」
第1回「医療ジャーナリストのがん闘病記」
第2回「がん転移を告知されて一番大変なのは『誰に伝え、誰に隠すか』だった」
第3回「抗がん剤を『休薬』したら筆者の身体に何が起きたか?」
第4回「“がん抑制遺伝子”が欠損したレアケースと判明…『転院』『治験』を受け入れるべきなのか」
第5回「抗がん剤は『演奏会が終るまで待ってほしい』 全身の骨に多発転移しても担当医に懇願した理由」
第6回「ホルモン治療の副作用で変化した「腋毛・乳房・陰部」のリアル」
第7回「恐い。吐き気は嫌だ……いよいよ始まった抗がん剤治療の『想定外の驚き』」
第8回「痛くもかゆくも熱くもない〈放射線治療〉のリアル「照射台には僕の体の形に合わせて作られた『型』が…」