確かに安倍には、首相にあるべきとされていた資質が乏しいように見えた。たとえば、かつて座談の名手と言われた首相に吉田茂がいる。当意即妙、戯れてみたり謎をかけたり、「人を食った」会話を楽しむのが吉田流である。だが、安倍の会話には機転や機知といったものはあまり見られない。
また、安倍の語りと言っても、大平正芳、中曽根康弘、宮澤喜一らのように、哲学書や古典作品を読みこなした教養の片鱗が見える内容とはほど遠い。ともすればムキになりがちな感想か、その場で笑い流すくらいの「冗談」のオンパレードと言えそうである。
首相安倍を軽んずる空気は、どうにも重みに欠けるその言語表現に向けられていた。記者との懇談でもしばらくたてば同じ話を繰り返すだけであるとか、首相官邸に贈呈された果物を食べれば「ジューシーでおいしい」という決まり文句しか言わないといったあたりである。
“ドラマ好み”という政治資源
対して、安倍首相と親しんだ人々は、彼が映画、漫画、プロレスなどに目がなかったと語る。仲の良い同窓生に、1980年代の「ミーハー」な消費文化を体現したホイチョイ・プロダクションズを率いる映画監督の馬場康夫氏がいた。ユーミンこと松任谷由実のライブにも足を運んでいる。
こうした昭和の娯楽の数々は安倍首相の素地であった。だが、安倍首相は、第2次政権となってから、これを政治資源へと磨き上げていく。いかにも21世紀らしいエンタメを政治の場に取り入れ、その姿に「推し」がつき、成功を収めるのである。特に着目したいのはネット配信のドラマシリーズである。
「仕事の資料を読む時間も必要なので、2時間かかる映画ではなく、1時間以内で収まるアメリカのドラマシリーズなどを観ます」とは安倍自身の言葉である(『成蹊人』Vol.91)。これまでの安倍晋三論がほとんど注目してこなかった“ドラマ好み”は、長期安定政権を作り出した宰相安倍ならではの政治資源の鉱脈であった。
にわかには信じがたいという読者のため、証言を安倍首相の外交を支え、その外交戦略をリードした谷内正太郎元国家安全保障局長に求めてみたい。『「安倍晋三 回顧録」公式副読本』(中央公論新社、2023年)の中で語られるエピソードである。2015年のアメリカ上下両院の合同会議でスピーチを行った夜のディナーでの挨拶である。
安倍総理は、「ハウス・オブ・カード」という番組をNetflixでよく見ているという話を披露しました。「ハウス・オブ・カード」は、野心的な副大統領が権謀術数の限りを尽くして、ボスの大統領を辞任に追い込み、自らが後任に納まるという人気のテレビドラマです。「あのドラマに夢中になっている」と打ち明け、「ただ、私はあの番組を副総理の麻生さんには見せたくない」と言い、大爆笑が巻き起こりました。アメリカの政界ではこの手のジョークは受けると分かっていたのでしょう。