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松島 本当にその通りです。母は、「この子を助けてくださったら、もう何もいりません」と神様に祈って、命がけで私を日本に連れ帰りました。娘バカかもしれないけど、あの人には本当はいろんな才能があったと思います。それなのに私のことだけを考えて、「松島トモ子の母」としてずっと生きてきました。

 そんな大変な恩義のある母ですから、認知症になっても本人が「施設に入るのは嫌だ」と言うのだったら、私だけ楽になるわけにはいかんなぁと感じました。周りにも「今度はあなたがお母様のお世話をする番ね」なんて言われますし(笑)。

「みんな『大往生でおめでとう』なんて言うけど…」

――2021年、志奈枝さんは100歳で亡くなりました。

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「母のおかげで覚悟が持てた」(写真:本人提供)

松島 早朝に母のおむつを替えに行くとき、内心「死んでいてくれないかな」と考えたことは一度や二度ではありません。それでも母が亡くなって、ものすごく落ち込みました。みんな「大往生でおめでとう」なんて言うけど、いやいや後悔ばかりです。

 でも母がレディなまま亡くなっていたら、私は大した親孝行もできないままになり、「取り返しのつかないことになってしまった」と立ち直れなかったんじゃないかしら。美しかった母が醜い姿をたっぷり見せてくれたのは、ある意味、私に「母なしで生きていく日が来るのだ」という覚悟を持たせてくれたと言えるのかもしれません。