「早朝に母のおむつを替えに行くとき、内心『死んでいてくれないかな』と考えたことは一度や二度ではありません」

 生後まもなく満州引き上げを体験した女優の松島トモ子(78歳)さん。生まれる前に父親は出征したため、残された母親は命がけで一人娘を守ってきた。松島さんの人生には母の支えが常にあったが、そんな最愛の母相手でも、介護の苦しみは大きなものだったという。(全3回の2回目/#1#3を読む)

松島トモ子さんが「母の介護」を通じて得たものとは? ©三宅史郎/文藝春秋

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ストレスで体重が33キロに激減

――松島さんと母・志奈枝さんは、『徹子の部屋』(テレビ朝日系)にそろって出演するなど、仲良し母娘として有名でした。松島さんが猛獣に襲撃される事故にあったとき、志奈枝さんの反応はどのようなものだったのでしょうか?

松島トモ子(以下、松島) 事故の知らせを聞いてすぐにビザを取得したものの、緊急で飛んだとしてもロンドンまでしか行けないことがわかったそうで、結局は家で待っていました。私には取り乱した様子をちっとも見せず、我が母ながら大したものです。親戚のおばさま方に「満州から苦労して連れて帰ったのに、ライオンやヒョウに食われてどうするの」と随分叱られたようですが……。

 うちの母は見た目はレディなんですが、度胸があるというか、なんというか。事故からしばらく経って、私がスキューバダイビングをするようになったとき、「へぇ、今度はサメですか」とぼそっと呟いていました。本当に懲りない娘だと思ったことでしょう(笑)。

――2016年、志奈枝さんが認知症を発症したそうですね。幻視の症状が出て、時には暴れだすなど、温厚な人柄が激変。介護生活の苦労で、松島さんはパニック障害になったと聞きました。

松島 母は、「トモ子ちゃんの立派なお葬式を出すまでは死ねない」という冗談をよく言っていて、自分でも「母がずっと私のことを守ってくれるんだ」と根拠なく思い込んでいました。しかし、母が95歳で認知症になり……。あまりに突然の、イントロダクションなしで始まった出来事でした。

 尊敬しきっていた母のあの変貌ぶり、狂乱ぶり。いつも上品だった母が「私を虐待して楽しいのか!」とものすごい声で怒鳴り、家具を倒して暴れまわるのです。「一緒に死にましょう」と包丁を持ち出してきたこともありました。ストレスのあまり私の体重は33キロまで落ちて、過呼吸になったりパニック障害になったり……。病人が病人を介護するわけですから、こんな無茶はありませんよね。

お母様を介護する松島さん(写真:本人提供)

――ごきょうだいがおらず独身なので、病気のお母様を一身で背負うような形になって。