「食材や味付けにもこだわってね」
79歳にして、能登半島地震の避難先でいち早く炊き出し支援を行ったことがネットを中心に大きな話題となった歌手で俳優の杉良太郎。その杉が支援のタイミングの難しさや、現地で感じた被災の現実について、帰京後はじめて月刊「文藝春秋」に明かした。
1月19日、杉は金沢市内の「いしかわ総合スポーツセンター」に向かった。この施設は、高齢者や障害者がホテルや旅館に移る二次避難までの間、一時的に受け入れる一・五次避難所として開設され、約300人の被災者が暮らしている。
「本当は地震発生直後、すぐにでも能登にかけつけたかった。ヘリコプターを飛ばせば孤立集落でも炊き出しができる、そのまま安全な地域への避難の呼びかけや移動のお手伝いもできる――色々検討はしたけれど、現状では迷惑になる。
周囲からは金沢に向かうのも『時期尚早ではないか』と心配されたけど、批判を恐れていては何も始まらないでしょう。行政と連絡を取り合いながら、ベストなタイミングや必要な物資の量を模索した」
支援物資の他にキッチンカー3台とスタッフ約30人を手配した杉は、避難所で包丁を持って調理場に立ち、味付けの確認も自ら行った。
「メニューは3日間、毎食違うもの。肉うどんや炊き込みご飯、粕汁といった体が温まるようなものを考えた。避難所はショックや不安で胃が弱っている人やお年寄りも多いから、胃がもたれないように食材や味付けにもこだわってね。スポーツセンターに入りきらない約60人が近くの石川県産業展示館二号館にいると現地で聞いて、急遽、そこでも炊き出しをすることにした」
「生きているうちに会えると思わなかった」
金沢の避難所では、駆け付けた杉の手を握りながら泣き出す人が大勢いたという。
「避難所は暖房が効いて暖かかったけれど、重い空気に包まれていた。それでも炊き出しを始めてしばらくするとたくさんの人が声をかけてくれて、泣きながら『生きているうちに会えると思わなかった』と手を握りしめてくれる人もいた。印象的だったのは、女性だけでなく男性も涙を流しながら僕の手を掴んで離さなかったこと。ある男性は、声もほとんど聞き取れないくらい泣きじゃくっていた」
被災者たちは堰を切ったように身の上を語った。その様子に、周りにいた医療チームも「これまでほとんど喋らなかったのに」と驚いていたという。