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緋文字い:現実世界に最適解は存在しない

 感受性の強さを心労だけに結実させない経営のためには「生活や仕事における最終的なゴール=目的を常に意識する」必要がある。

 そもそも心労には「気にするから気になる」という側面がある。ゴールではなく細かいプロセスに目が向いてしまっているのである。

 そこで、目的だけに集中して、他に気になることがあっても初手は「気のせいか」で済ます。相手が怒っているのか、助けが必要なのかなど、気になることは本人に直接きいた後に心配するよう心がけるといった手があるだろう。

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 プロセスに気をとられると目的への満足解ではなく最適解を求めすぎてしまい、それがまた心労を生み出す。

 しかも日常生活で我々は最適解など求めていないし、そもそも最適解を求めるとかえって馬鹿なことになる。最適解など現実には存在しないと割り切る方が合理的だ。

 試しに今日のランチにおける最適解を求めてみよう。

 まずは予算制約を考える。今、財布には5000円入っているとする。しかしこの5000円をそのまま予算制約にはできない。この5000円であと一週間ランチを食べる必要があるからだ。いや土日は自炊するためランチ代が必要ない。となると1000円が予算制約か。しかし今日のうちに5000円全額を使って、あとは絶食した方が満足できるようなランチもありうる。いや、待てよ、クレジットカードを使えば……と、予算制約ひとつ決まらない。

 仮に予算制約が決まったとしても、次に世界中に存在するすべての飲食店をピックアップする必要がある。とはいえ店に移動するための交通費や労力を考えると、ほとんどの店は考慮対象外だ。ふう、店を絞れそうだ。いや違う。もし巨額の交通費と途方もない労力を払って余りあるほどの満足度(効用)を得られる店があった場合、そこでランチを取るのが正解になる。……いや、それでは予算制約を決めた意味がない。

 さらに満足度にも、料理の美味しさや店内の雰囲気などその日その場で得られるものと、経験価値や健康リスクなど将来にわたって正負それぞれに働くものがある。

 このように厳密に/ストイックに食事の最適解を探していたら、我々はランチを食べることはできない。飢え死にするまで計算を続ける生ける屍になってしまう。

 こうした「最適解計算ランチ難民ゾンビ型の人」にならないためにも、日常生活や仕事において最適解を求める意味はないと理解しておく必要がある。その上で、ある程度の計画ができた段階で、まずは実行してみて結果を踏まえてよりよい解を探索すればよいだろう。

 何か気になることがあっても、周囲が最適な行動をとっていないように思えたとしても「そもそものゴールに到達できるのならば別にいい」と吹っ切ってしまうのである。そして、「ゴールに到達できない可能性がある場合だけ、自分から何かアクションを起こせばいい」とあらかじめ決めておけば、意識すべき対象が絞られ、気も楽になり成果も出やすくなるだろう。