「キャプテン! キャプテン!」通じない叫び
もう一人の乗客は、日刊ゲンダイ写真部長の中西直樹氏。札幌の実家に、本人と妻、3歳の長男、9か月の次男、義母、兄夫妻の計7人で帰省し、帰京するところだった。前記の金子氏とは反対の客室中央部の翼の上・左窓席隣りの28Bに座り、窓側に兄、近くに他の家族5人がまとまって席を取っていた。
〈もうすぐ着陸だなと思って窓の外を見ていたら、着陸と同時くらいにドンという衝撃があって、その瞬間、窓から見えるエンジンがバーンと爆発して炎上し、エンジンの骨組みみたいなのが見える状態になりました。
エンジンの出火を見た人は、「これ大丈夫か?」と緊張してざわつく雰囲気になったんですが、見えない席にいた人たちは、「何があったのかな」と疑問を抱く程度だったと思います。
最初にドンとなって、一瞬室内が暗くなった時には、CAさんが大きな声で、「頭を下げてください」と叫んだので、みんな座ったまま頭をかかえるようにして下げていたんですが、すぐに「大丈夫です、大丈夫です」という声かけで、みなさん落ち着き、立つ人もなく座っていました。
でも、火の手はすぐにかなり大きくなって、窓の外がオレンジ色になってからは、みんな「これはもうエンジンなり翼なりが燃えているんだな」とわかったでしょう。
僕の席のすぐ近くに主翼後方に脱出するドアがありましたが、CAさんが窓の外を見て、「こちらのドア、ダメです!」と、別のCAさんに伝えていました。別のCAさんは、マイクで「キャプテン! キャプテン!」と叫んでいましたが、マイクは通じなくなっていたようで、応答がなく、CAさん同士がそれぞれの持ち場のドアが脱出に使えるかどうかといった情報について、すべて肉声でやり取りしていました。
そのうちに前方のドアからの脱出が始まったので、「荷物は持たないでください」との指示を聞きながら、僕は3歳の長男を抱えて、前に進み、スライドを滑り降り、機体から離れたところまで逃げました。9か月の次男は義母が抱いて降りました。着地したところで、男の人が次男を受け取ってくれて、義母が立ち上がってから渡してもらいました。スライドの下では、男性の乗客たちが手伝っていました。我先にという人はいなかった。
振り返ってみると、僕らの席に近いところの(中央部の)ドアを、CAさんたちの判断で開けなかったのはすごいと思います。もし開けていたら、火が入ってきて大変な事態になっていたでしょう〉
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本記事の全文は「文藝春秋」2024年3月号と「文藝春秋 電子版」に掲載されています(柳田邦男「JAL乗務員 緊迫の証言」)。