いまから22年前、クラシック音楽業界ではちょっとした“事件”が起きていた。

 小澤征爾が初めて振った新年のウィーン・フィル恒例の「ニュー・イヤー・コンサート」を収めたアルバムがなんと80万枚という大セールスを記録したのだ。ポピュラーでももちろん大ヒットだが、クラシックアルバムで80万枚も売れるというのは、明らかに異常だった。翌2003年に発売された小澤指揮の「第9」もまたオリコン初登場で全アルバムのチャートで10位に入った。

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数年に及ぶ小澤征爾の長期密着取材へ

 2002年、小澤征爾は、29年在籍したボストン交響楽団を離れ、ウィーン国立歌劇場へと移籍することが決まっていた。そんな背景もあったにせよ、いつの間にか小澤征爾ブームが巻き起こっていたのである。

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 そんな流れもあったのだろう、クラシック音楽の門外漢である私にも、小澤征爾取材の依頼が舞い込んでくる。しかも1カ月超えの長期密着取材。もちろん二つ返事で引き受けた。そして、その取材は、とても1カ月で幕とはならず、こののち延々と数年にわたって続くことになるのである。

 2002から2003年にかけて、私は、写真家の阿久津知宏さんとともにボストン、ウィーン、ベルリン、松本、水戸などいくつもの都市をまわった。移動中、食事中、あるいはリハーサル室などあらゆる場所で私は猛烈に忙しいマエストロの言葉を拾いまくった。スピード感があって、大胆で繊細で、あらゆる人を愛して、食欲を隠さず豪快に飲んで、気取らず威張らず、少しせっかちな小澤さんはたまらなく魅力的だった。ただ、こと音楽と向き合うときだけは当然ながら真剣そのもので、近づきがたい空気を醸すときもあった。

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 ウィーンでの演奏会の日、控え室でひとりいたとき、1曲目の「未完成」を振り終えた小澤さんが戻ってきた。小澤さんは、立ったまま、すぐさま次に振るハイドンの譜面と、無言で向き合い始めた。室内で聞こえるのは譜面をめくる音だけ。曲の合間の休息時間にも座ることなく、静まりかえった控え室で、ただただ譜面と対峙していたのだ。私は呼吸音すら抑えるようにして固まった。係の人が出番を告げにきても小澤さんは微動だにせず立ったままなおも譜面をめくる。本当のギリギリまでおさらいをしていたのだ。演奏中に譜面を見ることのない小澤さんは、スコアを丸ごと飲み込み、身体の中に落とし込む。とんでもない集中力とエネルギーに部屋の空気がヒリヒリと張りつめる感じだった。