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 じつは中島はそれまで、この仕事が終わったらやめると思いながらも、それを言い出せないうちに次の仕事が決まり……ということを繰り返してきた。だが、《『NANA』を撮り終わって……。その瞬間、もう、「辞めます」なんて言える状況ではなくなってしまったんです》という(「CREA WEB」前掲)。

『NANA』の主題歌「GLAMOROUS SKY」も大ヒットし、オリコンのシングルチャートで初めて1位も獲得した。それでもなお充実感を抱くことはなく、その後もどうやって演じればいいのか、どうやって歌えばいいのか、探る日々が続く。もはややめられないと悟った分、そのプレッシャーは大きかっただろう。

映画『NANA』の製作発表会見。W主演の宮崎あおいと ©時事通信社

歌手生命の危機

 2010年にはさらなる試練に直面する。冒頭にも触れた耳の不調である。ひそかに病院にかかると耳管開放症と診断され、その後も通院を続けたが、根治は難しく、休むことを勧められた。それでも彼女はギリギリまで踏ん張ったものの、症状は悪化するばかりだった。ずっと耳栓をしているような症状から、無理やり絞り出すような声で歌っているうち、声帯の調子も悪くなっていく。

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 そのころには周囲の人たちも、あきらかに音程がとれておらず、コントロールができる状態ではないと気づいていた。だが、彼女を中心にお金などいろんなものが動いていただけに、ストップをかけられなかった。そのため、最終的に中島自らレコード会社のスタッフを集めて、病状を明かし、休業するかやめるか決めてくれるよう切り出さざるをえなかったという。

 それは、大阪城ホールと日本武道館でのデビュー10周年記念ライブを目前にしてのことだった。公演は中止を余儀なくされるも、彼女はファンのみなさんに直接謝りたいと、各会場の舞台に立ち、挨拶した。このとき、思いがけず客席から「A MIRACLE FOR YOU」の歌声が湧き起こる。これには彼女も《悩んでいる人を励ましたいという思いで私が作詞した歌なのに、私のほうが会場のみんなの合唱に励まされていて……。言葉にできないくらい感動しました》という(『婦人公論』2011年5月7日号)。同時に「この曲を返さなきゃいけない」とも思い、休業に入るに際しては、翌年4月からのツアーは絶対にやると宣言した。

 果たして、約半年間の休業を経て2011年4月にシングル「Dear」で復帰すると、宣言どおり全国ツアーを開催した。しかし、けっして本調子ではなく、自分では100%やりきったつもりではあったが、もうちょっとできただろうと悔しさも残った。それでも、ファンのなかに挫折した人がいれば、ボロボロの状態でもステージに立つ自分の姿を見て、その人たちが戻りたい場所に戻ろうと思ってくれたらいいなという気持ちで、ツアーを敢行したという(「Billbord JAPAN」2012年9月12日配信)。