歌手で俳優の中島美嘉は昨年(2023年)8月、「We are all stars」という楽曲を配信リリースした。同曲はタイトルどおり私たちは誰もがスターだと謳い、また、中島がドラァグクイーンに扮したビジュアルも含め、まさに多様性の時代にふさわしい作品となっている。もっとも、彼女からすると、時代の流れに乗ったというわけではなく、この曲はあくまで個人的な経験をきっかけに生まれたものらしい。
中島は2010~11年にニューヨークに滞在していた時期に、アメリカのドラァグクイーン界の大御所ル・ポールの存在を知ってからというもの、「人は自由でいいんだよ」「やりたいことをやればいいんだよ」というそのメッセージや生き方に勇気づけられてきたという。ちょうど彼女は耳の病気のため休業を余儀なくされ、心身ともにストレスを抱えていたころだった。「We are all stars」はそんな恩人にインスパイアされて生まれ、中島自ら手がけた歌詞にもル・ポールの名言がちりばめられている。
この曲にかぎらず、中島は小さいころから何事も、すべて自分が好きか嫌いかだけで決めてきたという。これに関して、あるインタビューでは、《私の長所であり短所は、流行りを知らないことです。流行っているものが自分に似合うとは思わないし、嫌で逆らっているつもりもない。私の中では、古いものと新しいものが混在しているのが普通です。音楽に関してもそう。好きか嫌いかしかわからない》とも語っていた(「CREA WEB」2021年10月28日配信)。逆にいえば、流行に疎いからこそ、彼女はこれまでブレずに自分を貫いてこられたのだろう。
彗星のごとくデビュー
中島はきょう2月19日、41歳の誕生日を迎えた。2001年に18歳でデビューしてから23年が経つ。それはまさに彗星のごとくだった。フジテレビ系のドラマ『傷だらけのラブソング』のヒロインに、3000人が応募したオーディションで抜擢され、主題歌も彼女の歌う「STARS」が採用されたのだ。その役どころは、高橋克典演じる元音楽プロデューサーとともにさまざまな困難を乗り越えながらデビューを目指す歌手と、中島自身を投影したものだった。放送中には視聴者から「あの子は誰なんだ?」という問い合わせが殺到したという。
もっとも、中島はそもそも歌手志望でも俳優志望でもなかった。『傷だらけのラブソング』のオーディションも、当時所属していた福岡のモデル事務所の関係者からは詳細を一切知らされないまま受け、気づけば最終審査にまで進んでいたという。のちに本人が語ったところでは、《とりあえず、行って歌ってこいみたいな状態だったんですよ。で、歌のオーディションだと思ってたから。しかも、エキストラだって聞いてたんですよ、私は。で、道ばたで歌ってるところが少し映る。だから歌うんだよみたいなことを言われて、あ、そうなんですかって、歌ってたら、最終オーディションで、実はドラマで、ヒロインなんだというのを、私以外は、みんな知っていたんです》ということらしい(『ROCKIN'ON JAPAN』2006年2月号)。それでも合格したのは、彼女のなかに磨けば光るものが見出されたからだろう。
高校進学は「必要ない」
中島は1983年、トラック運転手の父と、日本舞踊の師範である母のあいだに鹿児島に生まれた。日舞は幼いころよりピアノとともに習わされたという。しかし、人見知りが激しく、ピアノの発表会など人前に出るのは本当に苦手だった。勉強も小学校のときから好きになれず、中学に入ると、このまま無駄に高校に行くことはないと決意した。そのことを両親に告げると、最初こそ高校までは行きなさいと怒られたものの、「私にはたぶん必要ない」と訴えたところ、その代わりに何かやりたいことを見つけるよう言われたという(『週刊朝日』2020年11月13日号)。
そこで選んだのがモデルだった。とはいえ、それも単に洋服が好きで、九州だけで売っている雑誌のモデルになれば、いろんな服が着られるというぐらいの軽い気持ちであった。それでも姉が福岡にあるモデルの事務所が募集しているのを見つけてくれ、入ることになる。