雅子さまをサポートしたいという意識
第二に、母親である皇后をサポートしたいという意識もあったのではないだろうか。雅子皇后の病状は回復に向かっているとはいえ、依然として波があると伝えられている。留学すれば、両親から遠く離れてしまう。国内で就職すれば、常に両親の側に居て、病気である母親の皇后を支えることもできる。
特に、日本赤十字というところがポイントだろう。西南戦争中の1877年に設立された博愛社は、1886年のジュネーブ条約調印・批准にともなって翌年に日本赤十字社と改称したが、その初代総裁に小松宮彰仁親王、名誉総裁に昭憲皇太后(明治天皇の妻)が就任するなど、皇室と日本赤十字社の関係性は設立以来、非常に強かった。特に、昭憲皇太后は積極的に日本赤十字社の活動に参画し、歴代皇后が名誉総裁、皇太子妃または皇嗣妃ほかの皇族が名誉副総裁となって、女性皇族がその活動を支援している。雅子皇后も、現在は名誉総裁を務めている。
嘱託職員としても、長女としても
愛子内親王が日本赤十字社で勤務していれば、名誉総裁としての雅子皇后のサポートを嘱託職員としても、長女としても担うことができる。また、日本赤十字社は災害救助活動なども展開しており、被災地訪問によって被災者との交流を重視する平成以来の皇室のあり方を、やはり日本赤十字社の嘱託職員としてサポートできる。天皇皇后愛子内親王の3人で、被災地訪問が実施される、という可能性も十分にあり得るのではないか。
愛子内親王は中学1年生のとき、「看護師の愛子」が主人公の短編小説を書いた。その最後を、「今日も愛子はどんどんやって来る患者を精一杯看病し、沢山の勇気と希望を与えていることだろう」と結んでいる。こうした意識を持ち続けていて、今回の日本赤十字社への就職へとつながったのだろうか。