いま、東京の街はどこもかしこも建設ラッシュの真っ最中だ。なかでも大規模工事で、街の風景と人の流れが、わずか一週間で激変するのが渋谷と新宿だ。
新宿西口広場にぽっかり開いた穴を上空から映し、『日曜美術館』は建築家、坂倉準三の特集を始めた。
坂倉準三。二〇世紀を代表する建築家、ル・コルビュジエに師事。幾つもの鉄道が交わる渋谷駅周辺の再開発を試みる。
まずは東急会館。駅とデパート、劇場による初の複合施設だ。さらに東急文化会館。文化会館上階にはプラネタリウムがあり、一階は大型映画館の渋谷パンテオン。小学生の私はワクワク、至福感に包まれた。
一人の建築家により、渋谷と新宿の景観と人の流れが決定されたのだ。しかし建物の老朽化などで、いま彼の創りあげた風景は急速に姿を消している。
新宿西口広場の竣工は一九六六年九月。秋のやや寒い夜、数人の友達と新宿駅の西口に降り立った。地下広場から上を見上げると、巨大な吹き抜け穴からは、夜空が見えた。吹き抜け穴を囲むゆったりした幅員のある道路を、次つぎ車が地下広場に降りてくる。
「すごいね、この眺め」と連れの男が讃嘆の声を上げた。「なんだか近未来の世界みたいだよ、手塚治虫の『0(ゼロ)マン』とかさ」。それが現実世界に出現したことに私は衝撃を覚えた。
ここから何かが始まる。そんな予感というか、確信が湧いた。新宿西口フォークゲリラが広場に登場したのは六九年二月末だ。
私はその一週間後の、二回目の集会に、予備校の反戦デモ仲間と出かけた。ギターで反戦歌を歌う二〇人のメンバー。それを遠巻きにする二〇〇人ほどの通行人。一週間後に西口に行くと倍の通行人が、ギターの若者を取り巻く。
一か月もしないうちに地下広場は野次馬や見物客であふれかえった。最盛期にはタクシーが下りてくるスロープも観客がびっしりだった。若い学生や労働者に、親の年代の会社員が熱っぽく語る。「こんなことしてられるのも独身のうち。家庭をもってみろよ」。
あちこちで熱く喋りあってる。誰もが、あの地下の広場で見知らぬ人と話すことに飢えていたんだ。
最大の街で発生した無政府空間に恐怖した警察は、西口広場を地下通路と標識を改めた。通路だから、止まって騒げば逮捕。
新宿西口広場をメディアが特集すると、新宿フォークゲリラを取りあげる。『日曜美術館』はしかしフォーク集会に焦点を当てず、それが逆に新鮮だった。坂倉準三ってセンスいいね。彼が作った空間だから、新宿西口広場には見知らぬ人と会って議論したいオジさんや青年が押しよせた。それが自然と伝わる構成が鋭く、スマートだ。
INFORMATION
『日曜美術館』
NHK Eテレ 日 9:00~
https://www.nhk.jp/p/nichibi/ts/3PGYQN55NP/