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 アイドル的な人気を集めながらも、10代のときより俳優としての演技や存在感には定評があった。『アイコ十六歳』『さびしんぼう』で共演した藤田弓子は、当時の富田について《「さびしんぼう」の時には高校生でしたが、さらに風格に磨きがかかってました。マイペースで、いつも高いところに目を向けている女の子でしたね》と振り返っている(『週刊文春』1998年10月28日号)。

 だが、その富田も20代に入ると壁に突き当たる。21歳のときのインタビュー記事では、大人の女性を演じることへの抵抗感を示し、《女の子が好きで女優やってるっていうか、まだ“女”に魅力を感じてないから、私自身。この年齢になると、やたら大人の女の人っていうのを意識しなきゃいけなくなるけど、多分、まだ女はやれないだろうと思ってる。/と、言いつつも、もうそんなことは無理だと思ってるっていう、冷静な部分もすごく持ってる》と、心情を吐露していた(『PLAYBOY』1991年1月号)。

映画『さびしんぼう』(1985年)

8ヶ月間の休養…復帰後に待っていたもの

 じつは、そう語った直前には、8ヶ月間休養していた。デビュー以来、嫌いな仕事でもいまの自分には必要だと言い聞かせながら続けるうち、ついに限界に達し、俳優をやめようとまで思い詰めてしまったという。そこですべてを整理する意味でいったん休養をとり、スタッフを再編成して復帰したのである。

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 復帰後の富田を待っていたのは、つかこうへい作・演出の舞台『飛龍伝'90』(1990年)の主演であった。学生運動のリーダーに祭り上げられながら、男たちに翻弄されるヒロインを、文字通り体当たりで演じた。稽古中の取材では、「調子は?」と訊かれ、《これを見て下さい》と突然スカートを太腿のあたりまでまくりあげると、《ほらここに青タン、こっちに青痣。これが全てです》と答えている(『週刊文春』1990年11月22日号)。

 それでも稽古は楽しく、自分は芝居が好きなんだと再確認した。じつは富田は、稽古に入る直前、今後の道を選ぶとするなら“名優と呼ばれる脇役”と“大根と言われ続ける主役”のどちらか? との質問に対し、《大根と言われる主役。とにかく、主役やりたいっていうか、これはもう意地。やっぱり主役を張ることって、興行成績を上げるより、視聴率を上げるより大変なことだと思ってるから、まぁそういう女優でいたいなって思ってます》と答えていた。しかし、いざ稽古に入ると、《そういうの(引用者注:主役を張ること)にとらわれるより、楽しけりゃいいなっていうか。芝居やってて楽しいと思える時間を、どれだけ多くつくっていけるかじゃないかなって》と思い直す(『PLAYBOY』前掲号)。

 つかにとっても、しばらく小説に専念した時期を経て演劇界に本格復帰してまもないころであった。富田を皮切りとして、阿部寛、草彅剛、内田有紀、石原さとみなど多くの若手俳優がつかの厳しい指導のもと演技に開眼していくことになる。