大きな転機となった映画
さらに富田の大きな転機となったのが、1995年公開の香港映画『南京の基督(キリスト)』でヒロインの中国人娼婦を演じたことである。ただ、役柄ゆえヌードシーンもあっただけに、一度は断った。そのとき彼女の頭によぎったのは、家族だった。自分がこの役を演じて家族は胸を張れるだろうかと考えると、なかなか踏み切れなかったらしい。しかし、1年ほど経って再びオファーが来たときはうれしかったという。これはやっぱり何かあるんだと思い、母親に相談すると「あなたがやりたいのなら仕方ない。あなたが決めなさい」と言われ、決意した(『週刊プレイボーイ』1995年11月21日号)。
富田は当時25歳になっていたが、演じる役は15歳という設定だった。だが、それまでコンプレックスだったベビーフェイスや背が低いことが、ここで武器になると思い、実年齢は忘れ、自分は10代の少女だと思い込んで撮影にのぞんだ。
セリフはすべて広東語で、あとから別人により吹き替えられたが、口の動きが違うと観客がシラケると思い、撮影中は全部覚えてそのとおりに話したという。その撮影も、ひとつのシーンを最初から最後まで通しで撮るため長丁場となったが、すでにつかこうへいの舞台で鍛えられていたので、根性と持久力で乗り切る。これらの努力は迫真の演技として実を結び、東京国際映画祭では日本人として初の最優秀女優賞に輝いた。
30代の葛藤
『南京の基督』に続き、吉本ばななの小説『キッチン』を日本と香港の合作で映画化した『Kitchen キッチン~Aggie et Louie~』(1997年)でも、香港の女性役で主演した。公開時の雑誌記事では、《中国語圏の女の子を2本続けて演じたことで、韓国の女の子でも台湾の女の子でも受け止めることができるし、どこの国の作品でもやっていける自信がつきました》と語っている(『キネマ旬報』1997年12月上旬号)。
その後、30代に入ってからも、映画のほかドラマに舞台に俳優として活躍を続け、傍目からは順調に見えた。だが、本人は20代のころからの悩みを引きずり続けていたようだ。40歳になった直後には、《30代は、役柄の変化に自分が追いつけなかったんです。仕事に生きるキャリア女性や、子どもがいる女性の役が来ますよね。ところが私は、このとおりのベビーフェイス。役として求められる大人の女性と、自分自身の見た目のギャップに悩むことが多かった。だから、最近になってからなんですよ、やっと自分で歩けそうな予感がし始めたのは》と、美容家・佐伯チズとの対談で語っていた(『婦人公論』2009年3月22日号)。
結婚・出産を公表
この対談当時、富田は2007年に社交ダンサーの岡本裕治と結婚し、1児を出産していたことを公表したばかりだった。子供を儲けてからというもの、仕事でも母親役が増えていく。大ヒットしたドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(2016年)では新垣結衣、NHKの朝ドラ『スカーレット』(2019年)では戸田恵梨香と、各作品のヒロインの母親を好演したことはいまなお記憶に残る。冒頭に挙げた『おっパン』でも、何かと悩みがちな息子を温かく見守る一方で、娘と韓流アイドルにハマる母親を演じている。