ウクライナ侵攻から、2月24日で2年。スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ原作『チェルノブイリの祈り』のコミカライズが実現した(白泉社、1巻は2月29日刊行)。原発事故という、当時未曾有の惨事に遭遇した人々の悲しみと衝撃を伝えたノンフィクション作品をなぜ漫画にしようと思ったのか。コミックの担当編集者の谷口貴大さんに伺った。
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「原作に書いていないものはなるべく描かない」
「一番のきっかけというと、ロシアによるウクライナ侵攻、この戦争が始まったタイミングで、ウクライナの国内の状況であったり、政治や歴史的な部分を調べていたところ、原作の『チェルノブイリの祈り』に行き当たりました。ノンフィクションの当事者たちの生の声が、非常に人の心を打つものだと思い、ぜひ漫画にできないかなと思って企画を立ち上げた……という経緯になります」(ヤングアニマル編集部・谷口貴大さん、以下同)
岩波書店から出版されている日本語版と比べてみると、第1話の被ばくした消防士の妻の回想で、「ひと目でいいの」「だめよ! 容体が悪いの。彼ら全員が悪いの」といった登場人物のセリフなども、漫画のテンポに合わせながら再現されていることがわかる。
「あくまで漫画として面白くは作るんですけども、『原作に書いていないものはなるべく描かない』ことを意識しています。『チェルノブイリの祈り』に関しては、40年近く前の1986年に起きた事故であり、インタビューを受けてご存命の方もいらっしゃる。ご存命かどうかという問題だけではないのですが、証言された方々の生の声そのものを漫画のために脚色して上塗りしてしまうのは、コミカライズしようと思った最初の意図と違ってくるかなと」
ノンフィクション原作の“壁”
同じくアレクシエーヴィチ原作の『戦争は女の顔をしていない』のコミカライズ(KADOKAWA、1~4巻)も話題を呼び、大ヒットしている。
「『戦争は女の顔をしていない』は第二次世界大戦の女性の従軍者のインタビューなんですけれども、やはり漫画は、原作に書かれていないこと以外は描かない忠実さで、非常に丁寧に作られていると思います。どちらの原作も、『ネタとして使う』という扱いは決してできない作品です。『チェルノブイリの祈り』を漫画としてどう作っていくかを考えるときに、その意識は大切にしていました」
漫画家の熊谷雄太さんは、ノンフィクション原作の壁にぶつかったという。
「原作は、インタビューされているその人の話し言葉でずっと進んでいきます。どういった表情でその人が語っているか、涙を流したのか、微笑んだのか……。 小説のような『地の文』がないので、なるべく文章の意図を汲み取って描かないといけないところで、熊谷さんはすごく苦労して、読み込んでいらっしゃったと思います」
啓発本のようにしたくなかった
たとえば発電所の消火のため現地へ赴き被ばくした消防士の手足が腫れ上がっている描写。抑制された中にも被害の恐ろしさを感じるシーンが数多くある。
「第1話のラストページで、その妻の方が語る『あなたに話したのは愛について…わたしがどんなふうに愛していたかということです』というセリフがあります。事故の凄惨さを伝えるのはもちろんなのですが、政治的なメッセージや啓発本のようにはしたくなかった。消防士の方は容体がどんどん悪化していくなかで、妻は最後まで看病を続ける。あくまでも一つの家族の話として、妻がどれだけ夫を愛していたかというところをちゃんと描きましょう、と意識して熊谷さんと作っていきました。
続く第2話、第3話では、近くの街で暮らすある家族の生活が奪われていく様子や、事故処理作業員として従軍させられ、除染作業中に被ばくした男性のエピソードを描いています。さらに、被ばくの症状を科学的根拠をもとにどのように描くか、ソ連崩壊直前の現地で使われていた医療器具はどんなものであったか……。できるだけ資料を集めて調べなければならないことは山ほどあり、監修の今中哲二さん・後藤一信さんには、さまざまにお知恵を貸していただきました」
今回のコミカライズ作品を通じて、各世代がそれぞれの受け止め方をしてもらえたら、と谷口さんは話す。
「今の40代や50代の方は、チェルノブイリ原発事故を小さい頃の象徴的な事故として記憶しているのではないでしょうか。10代、20代の中には正直知らないという方も多いと思うんです。東日本大震災と福島第一原発の事故が起きた日本で生活している限り、こういうことが世界で起きていたと知らないまま生きていくというのは、危険なことなのではないかなとも個人的に思っています。各世代ごとの受け止めがあると思いますし、あらためてこういう事故があったということを、この漫画から知ってもらえたらうれしいですね」