150社の芸能オーディションに落ち、ときには容姿を理由に番組を降板させられたことも……。現在では海外でも評価されるサイバーパンク専門のモデル&クリエイターの斎藤ゆきえさんだが、そこに到達するまでには多くの困難があった。
最初は役者になることを夢見ていた彼女だが、いったいなぜ今のような活動を始めたのか? インタビュー前編では、失敗や挫折を糧に彼女が「サイバーパンクコスプレの専門家」になるまでを追った。(全2回の1回目/後編を読む)
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つらい幼少期を支えてくれた「仮面ライダー」
──幼少期に仮面ライダーにハマったのが芸能界を目指すきっかけだったそうですね。
斎藤ゆきえさん(以下、斎藤) そうですね。今はもう日常生活に支障がないほど軽減したんですけど、幼いころから吃音の症状があったんです。「わ、わ、わ、私は」みたいにどもってしまうので、小学校のころは友達もほぼいなくて。
ただ、夕方にテレビで昔の特撮を再放送する時間帯があって、そこで藤岡弘、さんの初代仮面ライダーが再放送していたんですが、それだけが楽しみで。学校でいじめられても「家に帰って仮面ライダー見られるし」と思えたんです。
──仮面ライダーのどこに惹かれたんですか?
斎藤 かっこいいんですよ! 仮面ライダーって巨大化せず、等身大で敵と戦うんです。しかも、今の仮面ライダーは味方がいますが、昔のライダーは1対大勢なんです。そういう状況に当時の自分を投影していたんだと思います。それで「これに出たい」と役者を目指すようになりました。
──つらい経験かと思いますが、学校ではどんないじめを受けていたんですか?
斎藤 吃音の人のほとんどが通る道だと思うんですけれど、どもりをわざとらしく誇張してモノマネされるのが一番多かったです。服装や髪型と違って、吃音は指摘されても治せないので、それが一番つらかったですね。
──その後、役者になる夢を持ちながらも美大に入学されたそうですね。
斎藤 そうですね。本当は役者になりたかったですけど、吃音が治っていなかったので難しいかな、と。造形が得意だったので、そういう分野で関われたらいいなと思って入学しました。
大学では、あんまり授業には出ず「漫画研究部」というサークルで変身ヒーローが出てくる漫画をめちゃくちゃ描いていました。演じられないなら自分で描いちゃえ、みたいな(笑)。
その経験を生かして、卒業後は漫画家のアシスタントをしていたんですけれど、26~27歳ごろに、突然吃音が治ったんですよ。原因も治療法もわかっていないので、なぜ治ったのか自分でもわからないし、治ったことも人から指摘されて気づきました。
──そこで芸能界への気持ちが再燃したんですね。