斎藤 はい。2000年に『仮面ライダークウガ』で仮面ライダーシリーズの放送が10年ぶりに復活したんですが、見ているうちにやりたい気持ちが盛り上がってきたんです。2009年に『仮面ライダーディケイド』劇場版のラストで、昔のライダーのブラックとアギトだけが、放送当時の俳優さんが演じる変身前の素顔に戻り、主人公に「お前にはいつも俺たちがついている。お前の旅はここから始まるんだ」って言葉を投げかけるんです。それが当時の自分にぴったりで。
当時私は年齢的にもう26、27歳くらいだったので、「今やらなかったら後悔する。これがラストチャンスだ」と、芸能界に挑むことにしました。
私は生まれて初めて見た仮面ライダーがブラックで、最後にリアタイで追って見た仮面ライダーがアギトだったので単なる偶然とは思えず、なおさら背中を押されたような気がしましたね。
オーディションでは苦戦続きだったけど
──ライダーたちに背中を押されたんですね。ただ、その後のオーディションでは苦戦されたとか。
斎藤 最初はひどかったですよ。当時私は30歳手前でしたが、まわりは10代もいて、SNSのフォロワーも5000人や1万人は当たり前。
私の場合、フォロワーは100人もいないし、実績もなく、見た目も特段人よりいいというわけでもなく……。ある時、3人1組のグループ面接で、私だけ1回も話を振られずに終わりました。そんなのが結構続きましたね。あとエキストラに行ってワンシーンも使われないとか。
──エキストラとして撮影に呼ばれているのに?
斎藤 はい。控室までは行けるんですよ。ただ撮影で「何番と何番のエキストラさん来てください」というお声が1回もかからずに終了、という。エキストラから地道に進もうと思ったんですが、初っ端でくじかれちゃったんですよ。どうしようかな、と。
──失敗が続くとモチベーションの維持が難しいですよね。どう気持ちを奮い立たせていたんですか?
斎藤 私、基本的にちょっとバカなんです(笑)。日本って芸能事務所がだいたい2000社ぐらいあるらしいんですよ。だから200か所落ちても1割ですよね。だから半分は回ろうと思って「1000か所受けてやろう」と。
1000か所落ちても、まだ半数なんですよね。北は岩手、南は福岡までオーディションを受けに行きました。
──ガッツがすごい…! 何か所くらい受けたんですか。