―― 「公安外事・倉島警部補」シリーズ第一作『曙光の街』は、2001年に刊行されました。ディープな日ロ関係を描く契機は何だったのでしょうか。
今野 もう、全然覚えてない(笑)。ロシアとの関係で言うと、もともと、1970年代に、空手の師匠がキューバで教えていた弟子が、ソ連へ赴いて政府関係者に指導するようになったんです。その後、93年に彼の教え子たちに招かれ、初めてロシアへ行きました。99年に師匠から独立して自分の道場を構えた時も、現地に弟子が沢山いたので、「支部を作っていいか」と請われて。ロシアに関する情報は、弟子から色々と聞いています。
――ちょうど現地によく行かれていた頃に、倉島シリーズは始まったのですね。
今野 だんだんとロシアの事情も分かって来て、面白いなと思っていた時期でしたから。ただ小説となると、訊いた話もどこまで書いていいのか、難しい問題なんですよ。今のところブラックメールも来てないですし、身の危険を感じたこともない(笑)。つまりは、まだ一線は超えていないはずです。
――日本の公安部で、ロシア専門の外事一課に所属する主人公というのも、大変ユニークです。
今野 公安を書きたいと思っていたわけではないんです。警察小説では、キャリアが悪者だったり、公安が捜査の邪魔をしてきたりするケースが多い。だから、“常套手段の逆”で、キャリアや公安の側の論理から小説を書いてみようと試みた。逆転の発想から作品を始めることは、間々ありますね。
普通の人は、ロシア人と関わる機会って、日常生活の中ではそこまでないでしょう。昔、わが家で「リーサルエンフォーサーズ」というガンシューティングゲームを、ロシアの軍人と一緒にやったんですね。俺は両手で構えて撃つけれど、相手は片手で的中させまくる。「絶対に勝てない」と悟ったものでした。意図しているわけではないですが、個人的な人間関係が密にあるからこそできる描写もあると思うんです。
――45周年を迎えられるタイミングで、コロナ禍も長く続きました。
今野 我々の仕事は全く変わりません。ただ、人と会う回数が減ったままですよね。会社員時代からの知り合いだった伊集院(静)さんも、なかなか会えていなかったまま死んじゃうし。どんどん世界は変わっていくから、びっくりします。
誰かに会ったら小説のネタが得られる、なんてことはないんですよ。でも、仲間と業界の話をしているだけで、安心したり元気になったりする部分もあるでしょう。若い作家との宴会を企画するのは、みんなでにぎやかに楽しむ場を、これからも続けてほしいな、と思ってのことでもあるんですよ。
――倉島シリーズはこれからどうなるでしょうか。
今野 倉島警部補は、一作ごとにどんどん成長していきます。その分、彼を書くたびに自分でも迷うんです。「この行動は今の彼とは違うかな」とか、いつも悩む。成長する部分と、元の倉島でいる部分と、振れ幅こそが物語の深み。彼の到達点は未定ですが、進化し続ける倉島を楽しみにしてください。