文春オンライン
21歳の慶應医大生作家が「僕はバレーボールを観るのが得意ではない」と語る理由とは

21歳の慶應医大生作家が「僕はバレーボールを観るのが得意ではない」と語る理由とは

2024/03/18
note

スーパープレイのたびに思わず声を上げて

 1セット目中盤、日鉄堺BZのタイムアウト。僕は座席に深く座って、どうして疲れてしまうかを考えてみた。まず僕自身の体調の問題がある。最近花粉症がひどくて、うっすらと始終不調である。この日もポケットティッシュをすでに1袋消費している。

 でもやはり、バレーボールの競技性みたいなものもあるんじゃないだろうか。バレーボールには停滞が存在しない。時間稼ぎや様子見みたいな時間がない(少なくとも観客の目には明らかじゃない)。サーブで(それもプロだからもちろん強烈なサーブで)ラリーが始まると、一方は万全の攻撃を組み立てようとし、もう片方は万全の守備でそれを迎え撃つ。ラリーになれば、目まぐるしく攻守が入れ替わる。スーパープレイも連続する。豪快なスパイクがブロックの手を吹き飛ばしたかと思うと、床に落ちる寸前のところでリベロがボールを拾い上げたりする。それをセッターが完璧なトスでスパイカーに送り、一気にピンチがチャンスにひっくり返ったりする。

 そんな光景が眼前で繰り広げられるのだ。有明コロシアムを埋め尽くす観客は身を乗り出し、スーパープレイが飛び出すたびに思わず声を上げた。やっとラリーが途切れると、快哉を叫ぶか、頭を抱えて「ああ」と漏らした。

ADVERTISEMENT

 バレーボールは息を詰めて見守るようなスポーツじゃないんだとふと気づく。凄まじいラリーを必死に追って、その中のプレイの一つひとつに声を漏らして、その末の決着は悔しかったり嬉しかったりするけど、それと同時に両チームに拍手を送りたくもなる。そんなラリーを何度も繰り返す。そりゃあ当然疲れるか。観ているだけで心拍数が上がって、へろへろになるか。でもこの「疲労感」こそ、バレーボールを生で観る醍醐味なのかもしれない。

 

 そういえば、今回席が割とコートに近かったから、試合中、ボールがすぐ近くまで飛んできたことがあった。ボールは隣席の友人の腕の中にちょうどすぽりと収まって、彼は驚き、貰っちゃだめなのかなあ、とぼやきながらボールガールに渡した。渡したボールを目で追うと、しばらくして、サーブを打つ東京GBのアラウージョ選手の元に渡った。その大きな手にさっき友人がキャッチしたボールが包まれている。俺が触ったから決まるかもな、なんて友人は笑った。対して僕は、さっきボールをキャッチする直前、友人はチョコレートバーを食べていたから、その脂がボールに付いているんじゃないだろうか、そのせいで手元が狂ってミスしてしまうんじゃないか、ちゃんとボールガールはボールに付着した脂を拭き取っただろうか、と不安になっていた。

 アラウージョ選手がサーブのトスを高く上げる。ジャンプして、腕をしならせる。打球はミスになることはなく、しかしエースになることもなく、相手コートに飛び込んでいった。

 そして僕たちの期待や不安なんて関係なしに、また長く、白熱したラリーが始まる。

つぼたゆうや/2002年、東京都生まれ。2018年、15歳の時に書いた『探偵はぼっちじゃない』で、第21回ボイルドエッグズ新人賞を史上最年少で受賞、翌年KADOKAWAより出版された。中学、高校時代はバレー部に所属。現在は慶應義塾大学医学部に通う。

八秒で跳べ

八秒で跳べ

坪田 侑也

文藝春秋

2024年2月10日 発売

21歳の慶應医大生作家が「僕はバレーボールを観るのが得意ではない」と語る理由とは

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー