永松 マサイではない、都会のナイロビの女性なんかは先進国のように独身で一生過ごす方ももちろんいます。ただ、うちのような田舎だとまだ皆無ですね。
学校を設立したワケ
――一方、ケニアでは2003年に初等教育が義務化され、学校教育を受けて育つマサイの人も増えています。
永松 私がジャクソンと結婚する20年以上前から、長老たちが、最近は雨季と乾季が予定した時期に来ない、どうも気候がおかしいぞと話し合っていました。
結果、牛が育たなくなり、開発によって街もどんどん迫ってきて土地が少なくなり、人口も増えている。これから先はマサイにとって厳しい環境になるだろうから、子どもたちを学校に行かせて、他の生き方も選択させるチャンスを作ったほうがいいと、地域に学校を設立したんです。
――マサイ族という文化を守るためには、今後は学校教育も必要だと。
永松 優秀な人たちをどんどん中央政治に送り出して、マサイとしての意見を言えるような、他の民族と対等に立ち向かえる人材を育て上げなければ、少数派のマサイは不利な立場に追いやられてしまう。だから、成績優秀な子どもはどんどん大学に送り出そうぜ、という戦略を立てたんです。
学歴から程遠いところにいたマサイの人たちですが、先見の明があって、勘が働くんです。
甥っ子はマサイの文化を守るために大学へ進学
――そうして学校教育を受けたマサイの子どもたちがすでに社会で活躍しているかと思いますが、そのまま都会に出てしまうことはないですか。
永松 都会で働いていても、必ず村に家を建て、稼いだ金で牛を飼い、休みの時は村に帰ってくるという暮らしをしています。都会に住みっぱなしということはマサイではあり得ないです。都会では飼えない牛を飼わなければいけないので。
私の甥っ子はうちの地域で第1号の大卒なんですけど、彼の大学卒業のお祝いで、長老たちがこんなスピーチをしたんです。
「君はこの地域で今まで誰も成し遂げたことのない偉業を成し遂げました。しかし、その偉業を支えたのは、この地域の人たちだということを絶対に忘れてはいけません。君に高い教育を受けさせたのは、学校に行ったことのない長老たちであり、いつも料理を作ってくれた地域のお母さんたちです。君は彼らのことを『読み書きもできない、汚い服を着た情けない奴らだ』とか思うかもしれないけれど、その彼らが君を大学まで行かせたんです」と。
また、別の長老はこう話していました。
「これから君は街へ行って仕事を探すだろうがなかなか仕事に就けないこともあるだろう。何年たっても仕事を得ることが出来ず、悪い道に逸れてでも、街に居残りたいと思うかもしれない。しかし、君にはこんなに多くの家畜がいる豊かな土地があるじゃないか。勇気を持って帰ってくれば良いのだよ」
甥っ子は、マサイの人たちが車を持つような近代的な生活をしたいがために、自分が大学に行かせてもらったとは思っていません。「この地域の文化を守るために僕が戦わなければいけない」と自覚して、都会で地方自治体の役所で働きながら、マサイ族との二刀流で頑張ってくれているんです。