1ページ目から読む
4/4ページ目

 そして本番。練習では経験していない距離を走る。当然、限界が来る。あれだけ練習したのに、無理かもしれない。あれだけ熱心に、トレーナー(現パートナー)は雨の日も風の日も、夜中であろうと早朝であろうと付き添ってくれたのに、無理かもしれない。そういう思いが画面を通して伝わってくる。そして困難を意地で乗り越え、到着した縁もゆかりもない両国国技館。涙を流すランナーとトレーナー(現パートナー)、その他出演者……その姿に、視聴者は納得させられてしまうのです。

道中の過酷さを執拗に描くことで視聴者を納得させてしまう

 本来は、旬のタレントが大特番の出演依頼を受けて、その企画が走り続けるものだったので走った——ということ以上でも以下でもありません。しかし、この道中の過酷さを執拗(しつよう)に描くことで視聴者を納得させてしまうことが可能なのです。走る理由など気にもさせない。

 とはいえ、もちろん旅に理由はあるべきです。先ほどの例では列挙したどれかの理由があれば、そこに道中の過酷さを描き足すことによって、ゴールの涙を一層理解できるものに、共感可能なものにすることができます。

ADVERTISEMENT

 ヒッチハイクでは誰も止まってくれず、路上で夜を明かすことになったかもしれない。長い歩きの道中で食料が尽きたかもしれない。真っ暗な夜道を貧弱な懐中電灯で歩き続けなければならなかったかもしれない。荷物は重すぎて、肩にも足にも水膨れがいくつもできて、一歩足を進めるごとに痛みに襲われていたかもしれない。寒さと、野生動物の恐怖に苛(さいな)まれたかもしれない。

 そんな1つひとつをしっかりと描くことで、視聴者はゴールの涙に共感することができるようになるのです。

上出遼平氏(写真=徳間書店提供)

細部まで疑っているプロだからこそ、第三者の目を求め続ける

 ところで、あなたは今こう思ってはいませんでしょうか。 

「さすがに、自分は失敗しなそうだ——」

 その気持ち、よくわかります。そして、コンテンツ制作に取り掛かる人間の誰もがそう思うのです。だからこの壁は不可避だと初めに書いたのです。その自信こそが失敗の源。端的に言って、自分をいかに疑い続けることができるかこそが、優秀な作り手とそうでない作り手を隔てる大いなる溝なのです。

「前提知識ゼロの人にも理解してもらえるようになっているか」の点検は極めて重要で

 あり、新人のテレビマンのほぼ全員がここで躓(つまづ)きます。例えば自分でロケをしたVTRであれば、どんな乱暴な編集をしても、ロケの中で起こったことのすべてを自分は知っているので流れを理解できる。しかし、初見の人ではそうもいかない。この点はベテランテレビマンでも気を抜くと徹底できません。

 そのためテレビ番組制作の過程では気が遠くなるほど何度も「試写」を重ねて、第三者の意見を反映させていくのです。プロは自分を細部まで疑っているからこそ、第三者の目を求め続ける。それがいかにストレスフルであり、自信喪失を招き、コストがかかるとしても、プロの世界にそれを軽視する人間は1人としていないのです。