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「そこが私にとっての大きな分岐点でした」

矢埜 新しい事務所では、私が日テレジェニックのグランプリに選ばれていたこともあって「グラビアで復帰!」と方針が固まり、イメージDVDを4作品くらいババッと出させてもらったんです。

前田美里(矢埜愛茉の以前の活動名)時代に販売されたDVD『ふたりのひめごと』

 振り返ってみると、そこが私にとっての大きな分岐点でしたね。なんでしょう、一気に正統派グラビアアイドル的なイメージから、ちょっと過激な着エロっぽい感じの撮影になったんですよ。

――抵抗はなかった?

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矢埜 当時はお仕事に復帰したてだったのもあって、また昔みたいに「お仕事があるだけで嬉しい!」「どんなことでも頑張ります!」状態に戻って(笑)。

©文藝春秋

 ただ、衣装にはほとんど布がないし、棒アイスを舐めて、疑似でセックスをするという撮影内容にはびっくりしました。

――事前に撮影内容は知らされなかったのですか?

矢埜 そうなんですよ。衣装を見て初めて「えっ、布がほぼない……」みたいな。現場のスタッフさんに確認したら「事務所の方はオッケーって言っていたので、これを用意したんですけど……」と言われてしまって。「もう、やるしかない!」の心境で撮影に臨みました。

 でも、メイク室では泣いてしまっていましたね。そのときはありがたいことに海外でロケをさせてもらっていたんですけど、海外だと逃げ場がないじゃないですか。本当にしんどいと思っても家に帰れないし、精神的に追い詰められてしまって……。

 この頃はしんどかったです。またやりたいと思って自分の意思で芸能界に戻ってきているけど、一気に求められることが変わっていて、やりたいこととどんどん違う方向に向かっているんじゃないかと考えこんでしまって。雑誌だったりテレビだったり、メディアに出るお仕事がしたかったのに、実際にやっているのは過激な着エロですから。

©文藝春秋

 それで、自分のやりたいことをやろうと、コロナ禍の直前くらいのタイミングで事務所を離れて、フリーランスとしての芸能活動を始めました。

――フリーで仕事をもらうのはなかなか難しいことのように感じるのですが、いかがでしたか?

矢埜 なければ自分で勝ち取ってしまえという気持ちで、「ヤングアニマル」の誌面掲載の権利を争うコンテストに参加して優勝したり、クラウドファンディングでお金を募って写真集を出版したり、精力的に動いていたんです。

 ただ、どう頑張っても、そこから仕事が広がっていくことはありませんでした。

◆◆◆

 結果を残したにもかかわらず、それが自身のやりたい仕事につながっていかないなかで生まれる葛藤。それから数年後に矢埜愛茉はセクシー女優としてのデビューを決意する。大きな決断に踏み切った“理由”は一体何だったのだろうか。