幼少期から憧れた芸能界入りを果たし、歴史あるアイドルプロジェクト「日テレジェニック」ではグランプリを受賞するなど、周囲が羨むようなキャリアを歩み始めた矢埜愛茉(やの・えま)。

 しかし、理想と現実のギャップは大きく、思うように仕事は増えていかなかったという。ここでは、彼女が明かした当時の実情、そして、大きな分岐点となったと振り返る、ある出来事について紹介していく。

矢埜愛茉さん ©文藝春秋

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「その頃くらいから『おや?』と思い始めたんです」

――憧れていた芸能界に入れて、歴史あるコンテストではグランプリを受賞。言う事無しの状況ですね。

矢埜愛茉(以下、矢埜) それが、そううまくはいきませんでした。

 私も、これで日テレジェニックの先輩方みたいに雑誌の表紙を飾ったり、テレビに出演できると期待していたんですけど、蓋を開けてみたら、周りの人と違って自分にはほとんどメディア関係の仕事が回ってこなかったんです。

©文藝春秋

――グランプリを受賞したにもかかわらず、自分だけ仕事が広がらないという状況は堪えますね。当時はどのような生活を送っていたんでしょうか。

矢埜 アイドルや舞台を中心に活動して、合間にアルバイトをするといった日々を2年間くらい続けていたんですが、次第に「おや?」と思い始めたんですよね。

 それまでは「お仕事があるだけで嬉しい!」の一心で、がむしゃらにやってきたけど、ふと立ち止まってギャラについてちゃんと考えてみると、ちょっとこれは自分の頑張りに見合ったお給料をもらえていないな、と。

 大人になったからかもしれません。とにかく、そうした事情もあって事務所を辞めることにしました。ただ、生活の余裕はなかったですね。

――移籍先の事務所はすでに決まっていたのでしょうか。

矢埜 いえ、決まっていなくて、実はそこから六本木や西麻布のラウンジで働き始めるんです。