今月はノンフィクション本をよく読んだ。書くにしても読むにしても、小説には一つの点から果てしなく世界が広がっていくようなワープ感があって、そこが面白くて気持ちいいのだけれど、ノンフィクション本の手応えは、逆にワープしないで踏みとどまる現実の重さにかかってくる気がする。
長く封印されてきた襲撃事件の真相に迫る『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』は衝撃的な一冊だった。時は一九九三年。しかし、亡くなった髙田晴行さんが所属していた班の記録を追うに、平和維持のためカンボジアへ派遣された隊員たちの任務はまるで大戦中のように過酷であり、赴任地での生活は壮絶だ。しかも、命の危険にさらされながら現地住民のために働く隊員のほとんどは、日本では普通の警察官だった人々なのである。
文民警察官。そもそも当時そうした立場で国際貢献をしていた人々の存在自体、恥ずかしながら私は忘れていた。湾岸戦争で「日本は金しか出さない」と国際社会を怒らせた日本は、内戦後のカンボジアへ介入したUNTACへの人的協力による信頼回復を迫られていたのだが、議論を喚ぶ自衛隊を戦闘に巻きこむのは避けたかった。そこで、UNTACとの交渉後、自衛隊はカンボジアでもとりわけ安全な地域へ配置され、あたかも均衡を図るが如く、髙田さんがいた文民警察官の班は最も危険な地域へ回された。自らを守る武器の携帯も許されずに。
果たして髙田さんを殺めたのはポル・ポト派だけなのか。現場を知らないUNTAC本部。隊員を助けるどころか足を引っぱる日本政府。司令部の希望的観測が犠牲を生む、という構図が大戦中からなんら変わっていないのには絶望するしかないが、せめて多くの人に失われた命の真相を知ってほしい。
〈(本文九一頁より)しかし赴任当初、何より問題となったのが電気だった。総理府が手配し、日本からはるばる持参した木箱に厳重梱包された発電機。仕様を確認すると、驚くことに日本国内で使う一〇〇Vの代物だったのだ(カンボジアの電圧は二二〇V)。〉
正直、往復書簡の類いを面白く読んだ記憶は少ない。それは二人の書き手が互いを気遣い合うが故に、自然と相手のミットに収まりやすい球を投げてしまうきらいがあるためではないかと思ったりもするのだが、『ほの暗い永久から出でて』の両者には共に力いっぱい好きな球を放ち合っている清々しさがあり(無論、不動の信頼があればこそだろうが)、しかも、その球種の多彩さは目が眩むほどだ。蓑虫の一生。阿闍世(あじゃせ)コンプレックス。想定の箱。AI。盛り沢山のテーマの中でも、とりわけ本書の執筆中にお母様と永別された上橋菜穂子さんの「人は何のために生きるのか」という真摯な問いかけ、そして遺伝子論理的には至極非情なその答えに対する作家としての立ちむかい方に痺れる思いがした。
〈(本文七四頁より)多くの人は、意識せずとも、心の深いところで感じているのかもしれません。産むという行為も、生まれるという行為も、魂を永遠から有限の世界へと引きだす、死への歩みをはじめさせる行為でもあるのだ、ということを。〉
ナチ戦犯を追う人々の軌跡を辿った『隠れナチを探し出せ』は、大戦後のドイツの空気がよく伝わってくる一冊だ。ドイツ国民も戦後ただちに自国の過ちを反省しはじめたわけではなく、最初は多くが目を背けた。が、背け続けることを良しとしない人々が徐々に世論を変えていく。罪人を逃すまじとするナチ・ハンターたちの執念もさることながら、その国家的な背景が興味深かった。
〈(本文一九五頁より)あの悪夢のような時代の出来事と、何が立派で何が恥ずべき行動だったかを理解するにはこうした裁判がきわめて大事だとバウアーは考えていた。そこから得られる教訓に比べれば、量刑などたいした意味を持たない。〉
01.『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』旗手啓介 講談社 1800円+税
02.『ほの暗い永久から出でて 生と死を巡る対話』上橋菜穂子 津田篤太郎 文藝春秋 1300円+税
03.『隠れナチを探し出せ 忘却に抗ったナチ・ハンターたちの戦い』アンドリュー・ナゴルスキ著 島村浩子訳 亜紀書房 3200円+税
04.『津波の霊たち 3・11 死と生の物語』リチャード・ロイド・パリー著 濱野大道訳 早川書房 1800円+税
05.『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』石井光太 双葉社 1500円+税
06.『口笛の上手な白雪姫』小川洋子 幻冬舎 1500円+税
07.『路上のX』桐野夏生 朝日新聞出版 1700円+税
08.『人魚の石』田辺青蛙 徳間書店 1700円+税
09.『ネバーホーム』レアード・ハント著 柴田元幸訳 朝日新聞出版 1800円+税
10.『事物の力 Force des choses』松田ゆたか 幻冬社 1100円+税