すると父親は、「聞く耳持たんわ」と言った。
「このとき、自分の思いは誰にも受け止めてもらえなかったのだと絶望すると同時に、将来もっと力をつけて、素手で時間をかけて殺してやりたいと強く願いました。近年、息子が父親を殺す事件が時々ありますが、その息子の動機や思いには、非常に共感できてしまう部分があります」
毒母への反撃
中村さんが中学3年生になる頃には、母親からの暴力は全くなくなった。体格や腕力などが、母親では敵わないと判断したからだろう。しかしその分、言葉の暴力は酷くなった。
「殴られないとはいえ、価値観の否定や言葉でのコントロール、時には『自殺する』というようなことをほのめかす『死ぬ死ぬ詐欺』なんかを受けていると、精神的に堪えます。それに対する防衛として、私も強い言葉で返すということが次第に増えていきました」
腕力では負けないという自信から、言い返すことに躊躇はなくなった。だが、これまで自分自身の感情を見つめたり、それを言葉にするということをしてこなかったため、結局気持ちを言語化できず、ありふれた暴言でしか言い返せなかった。怒りや興奮がエスカレートすると、母親の肩を叩いたり、鞄などで殴りつけるなどの身体的暴力をふるうことも増えていく。
「どんなに力をつけても、自分の感情を言葉にできないモヤモヤから、直接的な暴力へと向かうようになりました。実家の壁には私の拳の跡や穴がいくつもできました。学校の勉強も馬鹿馬鹿しくなり、成績もそれなりに上位だった頃から急激に落ちました。ですが、これはこれでホッとしたのを覚えています。まるでこれまでの抑圧から逃げるかのようでした」
やがて高校生になった中村さんに、初めての彼女ができた。
彼女を自宅に招いた数日後、母親から「あの子はやめておきなさい。色々調べたら家庭に問題がある。問題行動を起こしたこともある。周りもこんなことを言っている……」などと言われる。さすがにこれには中村さんもゾッとし、「早く家を出なければ」と思った。