“加害”と“被害”の連鎖
高校を卒業した中村さんは、遠方の専門学校へ進学。親元を離れて一人暮らしを始めた。
しかしDV両親の元を離れてのびのび生きられるようになったかと言えば、全くそうではなかった。
「原家族で日常的にあったDVなどのしんどい状況は、家を出るその瞬間まで続いていましたが、その影響は家を出た後もずっと続いていました。幼い頃から暴力や暴言を用いたパワーコントロールを受け続けたことで、私自身もそうしたパワーコントロール方法しか知らず、他の心地良いコミュニケーション方法についてはほとんど学ぶこと・体験することがなかったからです」
女性と交際を始めても、あるスイッチが入ると相手の女性に威圧的な物言いをしてしまったり、大声を上げてしまうといったことがあった。
「殴りはしませんでしたが、かつて母がしたような『死ぬ死ぬ詐欺』や『別れる別れる詐欺』なんかもしてしまったことがあります。自分がそれをされたとき、こんなしんどいことは他の人にはするまいと思っていたにもかかわらず……です」
“加害”だけではなく、“被害”を受けることもあった。中村さんは、交際中の女性から殴られたことも言葉の暴力を受けたこともあり、「“加害”と“被害”の役どころが、不定期に入れ替わるという状況に置かれたこともあります」と話す。
23歳で東京の会社に就職し、26歳になった中村さんは、友だちの紹介で3歳年下の女性と知り合い、交際に発展。
交際を始めてしばらくして、「過去に交際した相手のほとんどからDVを受けていた」と彼女から打ち明けられた中村さんは、「自分は絶対にDVはしない」と心に誓った。
それから2年後、28歳の頃に中村さんは結婚。
「確かに私は身体的な暴力は一度もしていなかったのですが、時々精神的なパワーコントロールはしてしまっていたと思いますし、彼女からパワーコントロールを受けたこともありました。それでも入籍し、式を挙げることになりました」
そして入籍から約2年後、冒頭の事件が起こる――。