まぁ、それほどまでに人気ということなのだ。地元にはお惣菜として売る店があったり、居酒屋メニューにもなったりしている。
「給食食べにおいでよ」
当時、中学2年生の学年主任だった田岡先生は、スリムなのに給食はいつも男子顔負けに大盛ご飯を食べるのが印象的だった。
問題生徒が教室外でたむろしていると連絡を受けると、
「行くよ!」
と、複数の男性教師を引き連れて職員室を颯爽(さっそう)と出ていく姿は、頼れる姉御という感じだった。
給食にイカフライのレモン煮が出た日は、不登校だったアイコちゃんに電話をかけ、
「今日はあんたの好きなイカフライのレモン煮だよ。給食食べにおいでよ」
と声をかけていた。
「家にいても食べるものもないのよ」
田岡先生曰く、
「あの子たち、家にいても食べるものもないのよ。給食だけでも食べに来てくれたらいいのに」
なんて言っていた。
その頃の私は、「家に食べるものがない」ということが理解できなかった。虐待とかネグレクトといった家庭の存在など、自分の身近にあるとは思っていなかったからだ。
私にしてみたら、不登校で給食費も払っていない生徒らがきまぐれで教室に来て給食を食べるたびに、欠席者のいるクラスを探して1食分を用意したり、給食費をカウントして請求したりといった余計な仕事が増えるだけで、ウンザリだった。結局、私はアイコちゃんとは一度も会う機会がないまま小学校に異動となり、さらに刑務所に転職してしまった。
亡くなったのは、あのアイコちゃんだった
刑務所に勤務して数年経ったある日、たまたま自宅でテレビを見ていたら、交通事故死のニュースが流れた。亡くなったのは、あのアイコちゃんだった。
20歳くらいだっただろうか。それ以来、炊場でイカフライレモン風味を見るたびに、田岡先生と会ったこともないアイコちゃんを思い出す。
ある受刑者は、イカフライレモン風味が一番好きだと言っていた。
「僕だけじゃないですよ。娑婆に出たら自分で作れるようにって、レシピを覚えて書き留める人もいるくらいですから」