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「描きながら、長くて12時間くらい電話して…」鳥山明の盟友・桂正和が明かしたドラゴンボール作者の“意外な好み”

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「午後6時、7時によく家の周りで大きな犬を散歩させていました。アディダスのジャージを着て、片田舎に馴染んでいました」(近所の住民)

 3月1日、急性硬膜下血腫のため68歳でこの世を去った鳥山明氏。作品は全世界で愛されたが、当人は愛知県清須市で生涯を全うした。

新作アニメ放映を控えていた鳥山氏

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「週刊少年ジャンプ」で連載した「Dr.スランプ」が大ヒット

 代表作「ドラゴンボール」は40カ国以上で翻訳され、累計発行部数は約2億6000万部。フランスのマクロン大統領をはじめ、世界の要人たちも追悼のメッセージを発表するなど、世界中の人々に与えた影響は計り知れない。

 高校卒業後、広告デザイン会社でチラシを描いて3年過ごし、漫画家に転身。1980年から「週刊少年ジャンプ」で連載した「Dr.スランプ」が大ヒットすると、81年に申告所得額が5億3924万円で文化人部門の1位になった。

 82年、清須市内に延床面積340平米の2階建ての「アラレちゃん御殿」を建設。さらに「ドラゴンボール」連載開始後の96年には、隣接する土地に延床面積320平米に及ぶ3階建ての「ドラゴンボール御殿」を建てた。

『ドラゴンボール』第1巻の表紙(公式サイトより)

「あまりにも大きいから、体育館みたいだよねと言われていました」(同前)

『ウチにも描いてください』と自宅にお願いに来る会社が続出

 その“御殿”を訪ねたことのある人物が語る。

「玄関に入ると、等身大のバットマンのフィギュアが置いてある。地下には大きな水槽がいくつもある部屋があって、ウーパールーパーを飼っていました」

 趣味はプラモデル作り。実際のクルマやバイクにも凝っていたが、高級車よりもホンダの「シティ」など、アラレちゃんの世界に出てくるような小型車を愛した。

「本人も名古屋弁で話す気さくな人でした。名古屋の東山動植物園のコアラのレリーフや、清須市のキャラクターも手掛けていましたが、頼まれるとイヤとは言えずに描いてしまう。一度引き受けると『ウチにも描いてください』と自宅にまでお願いに来る会社が続いて、対応する奥さんが困っていたこともあった」(鳥山氏の知人)

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