佐竹五六の『体験的官僚論』(有斐閣)は、官僚論の名著のひとつだ。1998年の刊行だが、森友学園や加計学園をめぐる問題で官僚の言動に注目が集まっている今日、改めて読み返すに値するものである。
古書店を回って集めた「官僚文献」の数々
著者は1955年東大法学部を卒業し、農林省に入省、1987年水産庁長官を最後に退官した。
典型的なエリート官僚だが、「自分の果たしている役割を、努めて客観的に眺める」ために、実務の傍ら40年余の間、古書店をまわって官僚に関する文献を集め、読み込んだという。
そのため、その記述はたいへん客観的で、元官僚の著作にありがちな、個人的な思い出話に終始しない。多種多様な官僚の回想録がつぎつぎに引用されており、それだけでもたいへんな読み応えがある。
天下国家を語る「国士型官僚」
佐竹は本書で、戦後日本の事務系キャリア官僚を「国士型官僚」と「リアリスト官僚」に分ける。
太平洋戦争の敗戦後の官僚は、「日本はこうあるべき」との理想論を語る、国士型官僚が主流を占めた。
当時の官僚は、占領軍の権力を背景に、みずからの思い描く理想をほとんど外部の制約なく施策として実現できた。日本の独立後も、政党が未成熟だったので、しばらくその状態が続いた。
そのため、官僚は自分たちこそが天下国家を担っているという強烈な自負心と使命感をもち、努力を惜しまなかったのである。
庁舎内で「冷や酒の一升瓶」を
それを後押しする環境も整っていた。当時の官僚は、国会対策などで多くの時間を取られなかったので、時間的にも精神的にもゆとりがあり、政策について十分な議論ができたという。
新人の官僚は、外国語の原書を手渡され、大学のゼミナール方式で幹部に鍛えられた。「勤務時間中でも、自分で自由に丸善や紀伊國屋などで原書を買って研究することができた」(福田幸弘『戦中派の懐想』)。
また、官僚たちは庁舎内で「石炭対策とか、国民車構想とかを論じながら、するめの足をかじって、夜中の一二時過ぎまで、冷や酒の一升瓶を傾け」た(並木信義『通産官僚の破綻』)。