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21世紀型の官僚は現れるか

 こうしたリアリスト官僚の仕事ぶりは、高度経済成長の時代には「パイの切り分け」としてうまく機能した。だが、第一次石油ショック以降になると、その場しのぎの弥縫策で深刻な問題を先送りする原因となった。

 また、官僚が政治家や業界団体と密接に結びつくことで、腐敗の温床にもなった。夜な夜な料亭で情報収集に明け暮れたり、業界団体から高額な講演料などを受け取ったりすることで、公私の区別が次第に希薄になっていったのである。

加計学園の前に立つ前川喜平・前文部科学事務次官 ©文藝春秋

 そこで佐竹は、21世紀に期待される新しい官僚像を提示する。それは、高度な知的作業能力にもとづき、政治家に選択肢を提示するスタッフとしての姿である。官僚は余計な配慮などせず、最終的な決定は政治家に委ねるというわけだ。

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 もっとも、これには政策を実現する側の政治家の力量や責任感が欠かせない。

「筆者は、力をもつ政治家として、現実追随になりがちである官僚の目標設定を現実と緊張感をもつ目標のレベルに高めることを期待したい。あるいは、官僚が選択しがちである自分の身の丈に合わせて問題を矮小化する現実追随型の選択肢ではなく、政治家として自ら傷つきかねないリスクを負い、汗を流す決意を要する選択肢を選ばれることを期待したいのである」(佐竹、前掲書)。

政治家と国民の変化が欠かせない

 さて、2018年の現在から振り返ると、いまだリアリスト官僚が主流であるように思われる。

 政治家と官僚の役割分担が明確であったならば、責任の所在も明らかなので、「忖度」の話も出ず、森友学園や加計学園をめぐる問題もここまで拗れなかったにちがいない。

安倍首相の秘書官も務めた経済産業省・柳瀬唯夫審議官 ©時事通信社

 では、スタッフ型の官僚への移行はいつ実現するのだろうか。

 国士型官僚からリアリスト官僚への移行は、55年体制の成立によって実現した。したがってつぎの移行も、政治の動きいかんによって決まるだろう。そしてそれを決めるのはほかならぬ国民なのである。

 21世紀型の官僚の実現には、政治家の変化が欠かせないし、政治家を選ぶ国民の変化も欠かせない。リアリスト官僚の言動を叩くだけではなにも変わらない――。

 官僚論の名著『体験的官僚論』は、20年も前にこのことを歴史的な経緯からすでに指摘しているのである。