55年体制と忖度のはじまり
だが、このようなゆとりある国士型官僚の時代は、55年体制の成立とともに変化をよぎなくされた。自民党の万年与党化によって族議員が権力をもつようになり、もはや官僚は自由自在に理想を実現できなくなったのである。
もはや天下国家を語っても仕方がない。膨大な予算を限られた時間内に混乱なくまとめ上げるため、官僚は、族議員や関係団体の意向を伺い、根回しをし、かれらが納得する試案をまとめることに奔走するようになった。リアリスト官僚の誕生である。
リアリスト官僚の思考を示すものとして、大蔵官僚のこんな証言が引かれている。
「『おたがいに、あまり基本的な疑問をもたないことにしましょうや。基本問題に疑問をもちだすと、キリがありませんから……。』と遠慮がちではありましたが、かなりハッキリと、そういいました。これには思わずギクリとしましたね。なるほど、これが発言者をふくめた当時の公務員の平均的思考形態なのかな、と」(橋口収『若き官僚たちへの手紙』)。
リアリスト官僚にとっては必要な能力
こういうリアリスト官僚にとっては、施策の整合性や合理性よりも、有力者がどう考えているかが重要になってくる。
「たとえ、暫定的なものであっても、限られた時間内において関係者間の合意を成立させ、当面、問題の一応の解決を図ることを職務としている実務家にとっては、事柄の客観的側面に関する膨大な間接情報よりも、組織の中枢にあるキーパースンが問題をどう受け止めているかを示唆する一言のほうが比較にならないほど価値が大きい」(佐竹、前掲書)。
有力者は明確に「こうせよ」と指示するとは限らない。そこには示唆も含まれる。佐竹はこの言葉を使っていないが、まさに適切な「忖度」もリアリスト官僚にとっては必要な能力のひとつだったのではないかと考えられる。