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「最も輝いた時代をそのままに残したい」と42歳でマイクを置いた…己に厳しかった笠置シヅ子"引き際の美学"

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genre : エンタメ, 音楽, テレビ・ラジオ

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笠置は後に、「それまで『歌う喜劇女優』として望外の知遇を得たが二足のわらじを履くことを断念した」と述懐している。そう割り切るまでには苦悩もあったと正直に述べていて、それがちょうどこの年だったことになる。

1957年早々、笠置は「歌手を廃業し、これからは女優業に専念したい」と公表した。1956年の空白の謎が、これで氷解した。

歌手廃業の理由を笠置ははっきりとこう述べている。

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「自分が最も輝いた時代をそのままに残したい。それを自分の手で汚すことはできない」いかにも自分に厳しい笠置らしい理由だ。一度こうと決めたら切り替えは早く、しかも頑固だ。その発言どおり、ブギの女王・笠置シヅ子はスポットライトから静かにフェードアウトした。

歌手廃業の理由を笠置は後年、自分が太ってきて踊れなくなったからだと述べている。笠置の声は肉体と一体であり、笠置の歌は踊りと切り離せない。踊れなくなると、「歌って踊るブギの女王・笠置シヅ子」ではなくなる。自分に厳しい笠置はそう考えたのだろう。

引退の理由は「太ってきて踊れなくなったから」とも

私は“踊る笠置シヅ子”を知らない世代の一人だが、1948年の映画『春爛漫狸祭』のフィナーレで踊る笠置の脚が、あまりに高く上がるのを見て驚いた。しかも体形はスリムである。このシーンで彼女がレビューダンサーだったことを改めて思い知らされた。この時の笠置は34歳だったから、戦前の20代ではもっと高く上がっていたかもしれない。だから1950年代半ばになり、40歳を過ぎた笠置が引退を考えた気持ちは理解できないこともない。

もはや自分のあとを追いかけるスターたちのはじけるような若さには勝てないと気づき、歌って踊る歌手としての限界を悟ったのだ。この頃、巷(ちまた)ではロカビリーが爆音のように流行の兆しを見せていた。笠置は背中で、容赦なく新しいスターを次々と登場させる時代の厳しさを感じていたのではないだろうか。1957年大晦日(おおみそか)の第8回NHK紅白歌合戦では、前年の大トリだった笠置に代わって、出場2回目で20歳の美空ひばりが女性陣のトリを務めたのは象徴的だ。