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巫女のアルバイト中に被災した吹奏楽部の部長・九尾結月さん

 吹奏楽部の部長を務めるのが、サックスを担当する九尾結月さんだ。地元輪島市出身の九尾さんは、震災当日、市内の重蔵神社で巫女のアルバイト中に被災する。街全体を襲った激しい揺れによって、地面が裂け、家屋が潰れる中、高台を目指して逃げた。その先が、のちに被災対応を防衛省から“輪島40”と称えられる航空自衛隊輪島分屯基地だった。

攻撃の機会を待つ合同吹奏楽団 Ⓒ文藝春秋

 九尾さんが語る。

「家族と会えたのは夜10時くらいだったと思います。自宅も被災してしまい、避難所で1週間過ごすと、その後は金沢市のお祖父ちゃんの家で避難生活をしていました。楽器は持っていったのですが、音を出す練習はできませんでした」

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 野球部の選抜出場が決まると、甲子園での演奏で能登を元気づけることが、大きなモチベーションになった。帰省していた留学生の部員が入国し、山梨キャンパスで合流できたのは、3月9日のこと。前出の久保さんが振り返る。

野球部のように寝泊まりしながら合同練習

「それからは楽屋の一室と音楽室を借り、野球部と同じように、段ボールベッドを敷いて寝泊まりしながら、山梨キャンパスの吹奏楽部と合同練習を始めました。もともと航空学園は石川と山梨、どちらが甲子園に出ても、合同で応援していましたが、今回のように他校が加わるのは初めてのことでした」

甲子園の直前に合同で音合わせ Ⓒ文藝春秋

 その近江高校は、甲子園でひとつ勝てば、航空石川と同じ大会6日目に2回戦を迎える日程だったが、3月18日の1回戦で熊本国府に惜しくも1対2で敗れていた。「史上初の吹奏楽部のダブルヘッダーを狙っていたんですけどね」と、樋口さんは明かした。

 航空石川の試合前日にあたる3月22日。航空石川と航空山梨の吹奏楽部団35人は、両校の教員4名とともに、山梨キャンパスからバスに乗って、滋賀県彦根市にある近江高校に赴いた。3校による合同練習を行うためだ。近江高校吹奏楽部64名は、ライバル校の吹奏楽部を温かく迎え入れた。

「こんなに大勢の人と演奏できて、とても楽しかった。大変な状況の地元を元気づけられるよう、がんばりたいと思いました」(前出・九尾さん)