アメリカの大喜利で
「星の王子様」と愛された圓楽さんの博識ぶり、こん平さんお決まりの「チャラーン」、みんな芸を持っています。
与太郎の僕はどうすればいいのだろう。僕なりに考えました。小さな頃から、正義の味方が悪をやっつけるお話が好きでした。時代劇のチャンバラ、なかでも「鞍馬天狗」の嵐寛寿郎がお気に入りだった。「鞍馬天狗」はいうなれば“和製スーパーマン”みたいなもので、視聴者の中にも僕と同じくらい好きな人がけっこういるんじゃないかと思ってね。
声色が得意ですから、「杉作」(「鞍馬天狗」に登場する少年)と頭につけて大喜利の答えを続ければウケるんじゃないかと試したら、大当たり。「杉作、日本の夜明けは近い」は大流行し、ある企業のCMにも使われ、賞まで取って。いまでもいろいろな人に知ってもらっているフレーズですが、実は「鞍馬天狗」の小説中には出てこないんです。アタシの創作のセリフだから(笑)。
じゃあ次は(片岡)千恵蔵の遠山の金さん「おう、この桜吹雪のイレズミが!」、(市川)右太衛門の旗本退屈男の早乙女主水之介「この額の三日月傷をなんと見る」……。多くの人の心に浸透している決め台詞を掘り起こし、使わせてもらおうと。そうしているうちに落語でも、僕の演目「昭和芸能史」ができたんです。
もちろんすべて声色を使います。歌丸さんにはよく、「木久ちゃんは死人で食べてる」なんて言われましたけど(笑)、立ち位置がまったく定まらなかった頃を思えば、よくここまでやって来られたと思います。
大喜利の回答に歌を入れ出したのも僕。昭和53年、当時のテレビ局は羽振りがよくてね。サンフランシスコに行って、「笑点 亜米利加寄席」をやることになりました。会場には日本語を勉強中の現地の人も多いから、言葉で笑いを取るよりも、ジャズなんて入れたらウケるんじゃないかと思いました。
それで「セントルイス・ブルース」に、「いやんばか〜ん」って、当時、よくクラブの女の子たちが言っていたせりふを当てはめてみたらハマっちゃった。CDまで出すことになったのは嬉しい誤算でしたけど(笑)。
笑点に出始めて八方塞がりだった頃の癖で、どういうカードを出せば周りに勝てるか、ということはいつも考えています。
僕は高校を卒業後に勤めた森永乳業を4カ月で退社し、『かっぱ天国』で知られる漫画家の清水崑先生に弟子入りしたんです。2年くらいして、『漫画サンデー』に作品が載り、プロの漫画家になりました。アシスタントをしながら、ひとりブツブツ声色をやっていたら先生に勧められ、早々に落語家に転身してしまいましたが、当時のことがあるからか、『笑点』でも大人より子どもの視聴者を意識しています。家庭では、子どもが観れば大人も観るんです。だから、お茶の間のちびっこたちに向けてカッパの恰好をしたり、宇宙人になって「ポヨヨヨ〜ン」とやったり。他のメンバーはそんな変なことしないですよね(笑)。
でも、談志さんにはよく「立ったり座ったりするんじゃない」と𠮟られました。落語家は言葉の球投げの面白さを磨け、と。だからなのか、インテリっぽい答えをするとよく座布団をくれました。
ブラックユーモアとか、シュールな笑いが好きでね。司会を降りたのも、そのことがあったかなあ。だんだん初代の『笑点』メンバーと考え方が合わなくなっていったんです。大喜利のなかで、「俺は親父の死に目に会えるんだ」「どうして?」「俺が親父を殺したんだ」なんて答えを喜ぶわけでしょう。
すると、日曜日の夕方のお茶の間にはふさわしくないんじゃないかと言うメンバーもいて……。
本記事の全文は「文藝春秋 電子版」に掲載されています(「『大喜利』おバカキャラで半世紀」)。
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