凶暴化した熊にとっては、相手が女性だろうと、まだお腹にいる赤子だろうと容赦なし…死者数は国内最多の7名。過去最悪の獣害事件「三毛別ヒグマ事件」はいかにして起きたのか? 宝島社による新刊『アーバン熊の脅威』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

国内最多の死者数7名…、史上最悪の獣害「三毛別ヒグマ事件」はいかにして起きたのか? 写真はイメージ ©getty

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頭蓋の一部を残して食い尽くされた遺体

 日本史上最悪の獣害で、死亡7人(胎児を1人を含む)、重傷3人の被害者を出した三毛別羆事件。舞台となったのは、日本海沿いの苫前村(現・苫前町)を流れる三毛別川の河口から20キロほど上った山間部に暮らす開拓農家だった。

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 1915年の11月、トウキビなどの農作物がヒグマに荒らされる被害が増えたことから、村ではマタギ2人を雇って警備にあたっていた。だが12月9日に村の一軒が熊に襲われ、家主の内縁の妻と、養子にする予定でいた6歳の少年が殺害される。

 少年の頭部は爪で穴が開いた即死状態。内縁の妻は餌(保存食)とし屋外まで引きずられていき、翌日発見された遺体は脚絆を巻いた脚の膝下部分と、頭蓋の一部を残して喰い尽くされていた。

 村民は遺体を持ち帰って通夜を行ったが、そこにくだんの熊が乱入。奪われた餌(遺体)を取り返しにきたのだ。通夜の参列客たちはなんとか逃げおおせたが、興奮した熊は村内を駆け回り、500メートルほど離れた民家に窓を突き破って侵入する。

 混乱の中で囲炉裏の炎は消えてしまい、熊は暗闇の中、家にいた10人に次々と襲いかかっていった。