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 臨月だった妊婦の斉藤タケは、夫が熊の襲撃を駐在所へ伝えに向かっていて不在だったため一時的に上の子供2人とこの民家へ身を寄せていたのだが、そこを襲われてしまった。

「腹を破らんでくれ!」

 お腹の子を守ろうと「腹を破らんでくれ!」と叫んだが、願い空しく腹を引き裂かれ、頭から喰い殺されてしまう。悲鳴を聞いた他の村人が銃を抱えて駆けつけた時、腹から引きずり出された胎児はまだわずかに動いていたが、間もなく母を追って息絶えてしまう。

 襲撃後の熊はなかなか見つからず、最終的には帝国陸軍の将兵30名が出動。事件発生から4日後の12月14日にようやく射殺した。この間に投入されたヒグマ討伐隊は延べ600人に及んだ。

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 なおこの件について、当初詳細な記録は残されていなかったが、同地に林務官として赴任した木村盛武が関係者たちからの証言をまとめて、1964年、旭川営林局の広報誌に「獣害史最大の惨劇苫前羆事件」と題して発表した。

同事件を題材にした『羆嵐(くまあらし)』(新潮社)

 以後、この事件は日本最悪の獣害として多くの小説や映画のモチーフとなり、広く知られることになった。