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 私がスポーツを観るのは、自分の生きる世界からは遠く、何も考えなくていいからだった。しかし人間の能力や勝負勘、チームの結束や奇跡、そして限界や絶望を、嘘も筋書きもなく観ることのできるスポーツの神性が、それを取り巻くいろんな利権や判断ミスのせいですっかり侵されて、余計なことをいろいろ考えずにはいられないものになった。

プレーヤー、クリエーターに罪はないのか?

 けれど、本当にプレイヤーに罪はないのだろうか? 才能や技能だけの、無力な人々なのだろうか。そんなことを映画界にある自分たちに置き換えて考えたのがその後の三年間になった。人が寄り集まることが御法度になって、映画の撮影が中止になったり、世界中の映画館が封鎖になったりということがまさか起こるとは想像もしなかったが、当たり前に流れていた空気がぴたりと止まった時、映画監督という立場で無心に走り続けることで、聞こえないようにしていた言葉や考えないようにしてきた環境のことが気になり始めた。作り手は面白い映画を作ることだけに専心していられるのがベストだが、フィールドがぬかるんでいるのでは、仲間も後輩もその上を歩けない。自分にはフィールドのぬかるみにまで責任は持てないと思い込んでいたけれども、「ぬかるんでて嫌だ」「こんな足場でいいプレーなんかできない」と言葉にするのは、そこに自ら立っているプレイヤー自身の役割ではないかと思うようにもなった。

 感染症との長い戦いや、元首相の暗殺、新たな戦争や虐殺、ジャニーズ事務所の解体など、絶句するような出来事が折り重なる中で、私が受け持っていたのは分厚い『文藝春秋』の末尾に近いわずか見開き2ページだった。深刻な話題よりも食後のデザート感覚の軽い内容を、と心がけたつもりだけれども、まとめて読んでみるとやはりそれなりの「ぬかるみ感」がある。こうした場を借りてキーボードを叩きながら、自分の中でまとまらずに折り重なっていたことを、整える時間にさせてもらっていたのかもしれない。読者の方の目には粘りつくようでしつこいかもしれないが、トンネルを抜けてはまたトンネルに入るようだったこの非常の一時代の記録として読んでいただければと思う。

西川美和(にしかわ・みわ)
映画監督。1974年広島県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。在学中から映画製作の現場に入り、是枝裕和監督などの作品にスタッフとして参加。2003年公開の脚本・監督デビュー作『蛇イチゴ』で数々の賞を受賞し、06年『ゆれる』で毎日映画コンクール日本映画大賞など様々の国内映画賞を受賞。09年公開の長篇第3作『ディア・ドクター』が日本アカデミー賞最優秀脚本賞、芸術選奨新人賞に選ばれ、国内外で絶賛される。『夢売るふたり』(12年)、『永い言い訳』(16年)に続く、21年公開の『すばらしき世界』でも高い評価を得た。小説・エッセイの執筆も手がけ、『ゆれる』で三島由紀夫賞候補、『きのうの神さま』『永い言い訳』でも直木賞候補となるなど話題に。その他の小説に『その日東京駅五時二十五分発』、エッセイ集に『映画にまつわるxについて』『スクリーンが待っている』などがある。

ハコウマに乗って

ハコウマに乗って

西川 美和

文藝春秋

2024年4月5日 発売