カメラが回っている時とそうでない時とに、境目のない俳優はいない。普段は口数が少なく穏やかなのに、「アクション」の声がかかれば悪辣な台詞も自らの言葉のように操り、「カット」と共に元に戻る。その技術を会得するにはかなりの鍛錬が必要だろうが、恐らくそうでなければ彼らも身が持たないのだろう。

観客も演出家も求めるのは「リアルなもの」

 彼らにとって最も過酷なのは、「自分自身を演じてください」という注文ではないかと思う。それは役が孕む葛藤と困難を生身に背負えということで、俳優にとっても演出家にとっても危険な賭けであると同時に、経験を積んだ俳優ほど、自らの本質を出したがらないようにも見える。

カンヌ映画祭「ある視点」部門グランプリを受賞した話題作 ©Eric DUMONT - Les Films Velvet

 しかし、観客も演出家も、より「リアルなもの」「実像に近いもの」を求めてしまうことがある。演技経験のない人を起用すれば、リスクを伴う代わりに爆発的なリアリズムを捉えられる可能性がある。これはしかし、悪魔との取引だ、と私は感じている。特に、子供を対象にした場合。

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いとも易々と「自分」を演じ分ける演技未経験の子供たち

 本作の冒頭では、子供たちのオーディション映像が映し出される。いかにも演技経験のない、通常は選ばれないタイプ。自意識が低く、家庭や素行に問題があり、チームワークに向かない「最悪な子供たち」。彼らを起用し、フランス北部の貧困地域で複雑な家庭環境の子供たちの劇映画が撮影される。演出家は、実際にその地域に住むホンモノたちを選んだのだ。

 ドキュメンタリーを見せられるのかと思いきや、撮影後の場面にも「カット割り」が施され、家族でさえカメラが存在していないかのように振る舞う。――つまり、全てはフィクションであり、演じられた芝居なのだ。