1ページ目から読む
2/3ページ目
他人の非や過ちを暴いてきたものの免罪符として。
私は新聞の社会面に溢れるほどの死と不幸と異変のニュースを書き続け、部下には無理を強いてきた。五十歳を超えた、擦れっ枯らしの記者だった。それが刷り上がったゲラを社会部長席で読んでいるうちに目頭が熱くなり、しばらく身動きができなかった。
最後の十四行には、こう記されていた。
<念願の製品ができた一年後、佳美が二十三歳になった時、体調を崩した。一か八かの手術も不調に終わった。最後の夜、佳美の大好きなクリスマスの賛美歌を歌いながら、心電図の波が消えるまで見送った。
「あの子は自分が助からなくても、救われる人がたくさんいることを喜んでいるだろう」。筒井はそう信じて、今も製品の改良を重ねている>
子供のためなら親はここまで悲運や困難に抗うものなのか。そして、人間はどこまで可能性を秘めているのか。
『幸せの新聞』を創刊したころ、日本の失業率は過去最悪に向かっていた。私は「試練を前向きにとらえ、明るく生き抜く知恵が新聞に求められている」と編集局長や部下には説明していたが、心の片隅では、切った張ったの社会部記者では終わりたくない、大げさに言えば、記者として他人の非や過ち、澱みのようなものを一方的に切ってきた過去に対する免罪符を得たいと思っていたのだ。