町工場を営む筒井宣政の二女・佳美は、心臓の疾患を持って生まれ、9歳の時に、「余命10年」と宣告される。心臓に疾患を持つ娘の命を救うため、宣政と妻の陽子は人工心臓開発という無謀な挑戦に踏み切った――。
『アトムの心臓 「ディア・ファミリー」23年間の記録』は、そんな実話をもとにしたノンフィクションである。6月14日(金)からは、映画『ディア・ファミリー』として劇場でも公開中だ。ここでは、本書より一部を抜粋して紹介する。
医学的な知識がなく「ど素人」の筒井夫婦が娘のために日々努力を重ねる一方で、佳美とその家族たちは「ごく普通」の家族生活を過ごしていたが……。(全3回の3回目/最初から読む)
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意外な頑固者
人工心臓の勉強に没頭し始めた後も、陽子は佳美の治療をあきらめなかった。
「よんちゃんの病気は、お医者さんが治せないと言っても、お父さんとお母さんが治してあげるからね」
そう言って、専門書店や図書館で見つけた医学書を何冊も読んでは佳美を連れて、大阪の国立循環器病研究センターなど全国の病院を歩き回った。奈美の記憶には、母親と佳美、奈美の3人で東京・四谷の旅館に泊まって、東京の病院を訪ね歩いた姿が焼き付いている。
「こんな方法なら手術も可能ではありませんか」
と医師をかき口説き、分からないことは詳しく尋ねるので、病院の診察時間は長いものになり、顔見知りになった大病院では最後に回されるようになった。東京女子医大の小柳のところにも3カ月に一度は顔を見せ、「そろそろフランスで初めてこういう手術が始まったけれどもね」と助言を受けながら、新たな手術の可能性を探っていた。
ひととき陽子の笑顔が戻ったのは、佳美が1年遅れて奈美の通う金城学院に合格したときだ。晴れ晴れとした表情で、陽子の運転する車に乗って通い始めた。
筒井家では小さな入学祝賀会を開いた。そのとき、珍しく佳美が宣政に迫った。
「お父さんは、私が受かったらディズニーに連れてってくれる、って約束したよ」
宣政はよく覚えていない。だが、受験前に佳美にせがまれて、「よっしゃ、よっしゃ」と生返事をしたらしい。そばで聞いていた奈美と寿美も、
「確かにお父さんは言った!」
そう口をそろえるので、旅行に行かざるをえなくなった。当時、千葉県浦安市に東京ディズニーランドがオープンしたばかりだったが、佳美たちが行きたいというのは、米フロリダ州のディズニーワールドである。