医学的な知識を持たない「ど素人」の夫婦が、人工心臓開発という無謀な挑戦に踏み切った。それは、心臓に疾患を持つ娘の命を救うためだった――。
『アトムの心臓 「ディア・ファミリー」23年間の記録』は、そんな実話をもとにしたノンフィクションだ。ここでは本書より一部を抜粋して紹介する。
父から町工場の経営を任され、莫大な借金を返すために奮闘していた筒井宣政と、その家族の目の前に突き付けられた、残酷な事実とは――。(全2回の1回目/続きを読む)
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二女・佳美の誕生
それでも宣政は運を持っていた。日本は高度成長の途上にあったし、3人の女児に恵まれたからである。
結婚した翌年の1967年8月に生まれたのが、ゴムまりのようにふっくらとした奈美。佐良直美の『世界は二人のために』がヒットした年だ。人好きのする笑顔を振りまき、みんなに「なっちゃん」と呼ばれた。
10カ月後に二女の佳美が誕生する。愛称は「よんちゃん」。街にはザ・タイガースの『花の首飾り』や、ピンキーとキラーズの『恋の季節』のレコード曲が流れていた。
そして、佳美が生を受けてから6年後、三女の寿美が家族の一員に加わる。ふだんは「すみちゃん」と呼ばれているが、お茶目なので、奈美には時々、「スミー!」とられている。
いずれも母親譲りのぱっちりとした眼を持ち、整った顔立ちである。長女は宣政が、二女は陽子が、三女の寿美は二郎が名付けた。何でも二郎が好きだった女性の名前らしい。
3人共に祝福された生だったが、中でも佳美の人生は、羅針盤のように筒井一家の行く先を示し、照らし続けた。
そのときのことを宣政はいつまでも忘れなかった。
「この子は命のろうそくが短いのか」
佳美を早産した陽子を名古屋の病院のベッドに休ませた直後だった。産婦人科医は宣政を新生児室に呼んで、
「赤ちゃんの心臓がひどく悪いですよ」
と聴診器を手渡した。宣政は26歳になっている。
「雑音がしますから。これを心臓のところに当てて聞いてみてください」
聴診器を当てて耳を澄ます。すると、「カックンコ、カックンコ」と波打つ心音の合間に、「ザザザ、ザザザザッ」という音がはっきりと聞こえた。
――なんだろう。空気が抜けているような音だ。
心臓の音に異常があることは素人にも分かった。
「佳美ちゃんは長く持たないかもしれません」
医師の声を、彼は茫然と聞いた。
この子は命のろうそくが短いのか。