しかも、新生児なので精密検査に体が耐えられないという。心臓外科医によると、おおむね9歳、体重が20キロを超えるころまでは機器やメスを入れて調べるのは難しいと告げられた。
心臓に難病を抱え、明日をも約束されない赤子なのに、成長を待つしかないのだ。
少し大きくなると、走ることもできない佳美は陽子に「なんでこんな風に生まれちゃったんだろう」と言うようになった。
「お母さん、ごめんね」
という小さな声が震えている。そばで聞いていた姉の奈美の胸に哀しさが押し寄せて、涙が止まらなくなった。すると、佳美が、
「なっちゃん、泣かないで」
と手にしていたハンカチで奈美の目を拭った。
そのとき陽子は、私が治してあげる、と強く思った。
きっと何とかなる。佳美の心臓の中がどうなっているのか分からないことが、かえって救いになった。自分は不安におびえない人間だし、手元には聖書がある。
何事もなければ、陽子は名古屋の中小企業経営者の令夫人として、ありふれた人生を過ごしていたことだろう。だが、医者に宣告された24歳のそのときに、陽子は静かでおっとりとした人生に別れを告げたのだ。
心の奥底に阿修羅のようなものを住まわせて生きなければならなくなったからである。阿修羅とは仏教でいう戦闘神のことである。
「稼いでおかんと」目をつけた意外なビジネス
宣政は借金と佳美の難病という2つの痛みを抱え、名古屋や大阪の大手商社を歩いていた。
――とりあえず、借金だけでも打開策はないものか。佳美の治療費も稼いでおかんとなあ。
じりじりと下半身に這い上がって来る焦りを感じながら、宣政はその日、繊維や化学品に強い中堅商社の名古屋担当者に相談した。
「うちの会社は詐欺に引っかかって、いま大変なんです。なんかいい仕事、バーッとこう売れる仕事ありませんか」
まるで雲をつかむような話である。三井物産や三菱商事などにも持ちかけ、軽くあしらわれていた。ところがその担当者だけは話をきちんと聞いてくれて、こう言った。
「筒井さん、アフリカの人々の頭の毛を縛るひもを作ったら、ものすごい売れるよ」
「ひもって何ですか」
「ほら、アフリカの人は髪が縮れているでしょう。その縮れ髪を何十本か、小さくまとめて結わえるひもだよ。これが一人の頭髪に何十本も必要になるんだわ。それを作ったら売れるよ」
「いま、向こうの人たちはどうしとるの?」
「木綿糸で縛っているんだ」
それを聞いて、ちょっと膨らんだ期待がたちまちしぼんだ。