多くのジャーナリストが書き残そうとした「奇跡の物語」
そして、この物語に出会って、なぜか救われた気持ちになった。こんな物語を発掘するために、自分は生きているのかもしれないとも思えたのだ。
しかし、この物語を残し伝えたい、と思いながら、当時は本や映画に仕立てたりすることなどできなかった。裏付けのためには出張を繰り返し、医療界にもずんずん踏み込んでいかなければならない。中部社会部長として事件を追い、たくさんの新聞連載を抱え、『幸せの新聞』を続ける私に、その時間はなかったのである。
それに、この話があまりに純粋過ぎて、踏み込めない何かを抱えているような気もした。何よりも夭折した佳美さんの短い青春と人間像に迫ることができなかった。その間に筒井さん家族の物語は、テレビドラマや番組などにも取り上げられたが、やはり私の疑問に答えてくれるものはなかった。
筒井さんが佳美さんの結婚をめぐる逸話を漏らしたのが二〇二一年である。人工心臓の開発に苦闘した痕跡を求めて、一緒に東京大学や東京女子医大付属病院を回っていたときだった。立ち寄った蕎麦屋で、彼は思い出を噛み締めるように話し始めた。
ああ、そのときがようやく巡ってきた、と私は思った。
この間に山下記者は新聞社を辞め、いまは在日オーストラリア大使館の文化広報担当として働いている。彼を始め、たくさんの人々がこの奇跡的な話を書き残そうと試みたらしい。
『アトムの心臓』の出版や映画「ディア・ファミリー」の完成をフェイスブックで報告したところ、元NHKプロデューサーの福田忠司さんからメッセージをいただいた。かつて人工心臓を取材した折に、筒井夫妻の話を知り、世に出すべきだと思ったが叶わなかったという。メッセージの末尾にはこうあった。
<今回のこと、私が言うのも変ですが、言わせて下さい。本当にありがとうございました>
それで気付いたのだ。
そうか、私は山下記者や福田プロデューサーからバトンを受け継いだ、最後のランナーだったのか、と。
INFORMATION
本書を原作とする映画『ディア・ファミリー』が6月14日(金)に公開されます。
主演:大泉洋/監督:月川翔/配給:東宝
映画公式サイト:https://dear-family.toho.co.jp/